来年が「うま年」だからというわけではないけれど、イランの現代ポエムのなかで私がこよなく愛してやまないのが、「僕たちの家の空」と題する作品。15行足らずのごく短い詩だ。1960年代のイラン前衛詩運動の旗手、アフマド・レザー・アフマディー(1940-:テヘラン在住)によるもので、彼については、2010年6月『ミて』webエッセイの中でも絵本作家としての一面を取り上げたことがある。この年、アンデルセン童話賞のファイナリスト5人のひとりにも選ばれていた。
僕は無数の階段を 青くのぼって行った
僕たちの家の空は
隣人の家の空とは違っていた
僕は 小麦の深さでうねる無数の階段を
空腹のまま のぼって行った
馬の白を追いかけて
一面の小麦畑のなかで ただ一本の道だけを見つめていた
白髪になった僕の父さんもその道を通って行ったのだ
僕は 小麦畑をずっと たったひとりで歩いてきた
僕は父を見た
小麦を見た
なのに未だに言えずにいる「僕の馬だ」とは
僕はただ 馬の白を想って泣いたのだ
僕の馬は 刈り取られた
「僕たちの家の空」(1970年頃)
「僕」は無数の、たくさんの階段を「青く」のぼっていく。「空腹のまま」のぼっていく。
(「無数の」というのは、実は、訳者の都合でくっついている言葉です。原文は、ペルシア語ですが、英語で言うならstairsのようにただ複数形になってるだけ。だから、もしかしたら、この階段は2、3段なのかもしれないのだけど、でもペルシア語の複数形語尾って、付いてるだけでリズムがよくって伸びやかで、それに青とか空とか出てきちゃうと、なんだかずっとずっと続いているみたいでしょう?)
「ぼく」がのぼっていく階段がつづくのは空、そして、小麦畑。父さんも僕も、「ずっと たったひとりで歩いてきた」小麦畑で、僕が追いかけてきた馬の「白」。「白い」父さんの髪。未だに「僕の馬だ」とは言えないままに想って泣いた「馬の白」。きっともう、小麦はこんがりと実っている。「空」と、「小麦畑」と、響きあう「白」のえもいわれぬ懐かしさみたいなものに、なんだかぐっときてしまうのだけど、最後の一行でそれらは、唐突にほとんど暴力的なまでに、もぎとるようにして奪われてしまう。「僕の馬は 刈り取られた」という詩句の「刈り取る」は、決して訳者の意訳などではなく、麦や稲の束を鎌でざっくりと切る生々しい感触すら思い起こさせる「刈り取る」という動詞だ。
イランの田園風景の中で、目にまぶしいばかりの緑を放つ、あるいは、黄金色に実り乾いた音を立てる「小麦畑」は詩人にとっての原風景らしく、彼の詩に繰り返し現れる。日本で小麦畑を見たことがなかった私は、イランのカスピ海沿岸の村で、まだ肌寒い春の空の下、青々と広がる小麦畑を見たとき、「あ、田んぼだ~~!」と思った。田植えを終えたばかりの、まだうまく根付くことのできていない稲苗がしきつめられたみたいな青草の絨毯が、そこには広がっていたから。
ごく初期から彼の詩に見られる、存在の座標の歪みみたいなものや、主体と客体が倒錯したかのような世界は、「小麦畑」にも現れるが、そのお話は、また次回に。
僕は小麦が好きだった
僕の手のひらには
小麦が生えていた
君は小麦畑の真ん中から
鏡をもって 生えて
きた
「夜」(1990年頃)
ちなみに詩人本によれば、彼の詩にさまざまな形で姿を見せる「きみ」は、どれも、若いころに付き合っていた数多の女の子たちなのだそう。名うてのプレイボーイの名残である。
*詩はいずれも拙訳。鈴木ほか『現代イラン詩集』(土曜美術社出版販売)2009より。
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