えのぐのはこには 七つのいろ。
みどり、青、きいろ、赤、くろ、白、はいいろ
いっしゅうかんは 七つの日。
金よう日、土よう日、日よう日、月よう日、火よう日、水よう日、木よう日
まいにち えのぐを ひといろずつとりだして
まいにち ひとつずつ えをかこう。
アフマド・レザー・アフマディー『七つの日、七つのいろ』(1985年)
(アフマディーは2010年、国際アンデルセン賞[作家賞]の最終候補5人にノミネートされたほか、
スウェーデンのアストリッド・リンドグレーン文学賞の候補にも挙げられた。)
1970年代のイランでは、文学のアンガージュマン(政治参加)の嵐が吹き荒れていて、詩はもとより童話さえも政治活動の手段となることが少なくなかった。そして、80年代には、イスラーム革命(79年)による混乱が続いていた。この時期に絵本作家としてのスタートを切ったアフマディーも、本の出版がままならず、執筆を休止してばかりいた。とはいえ、当時彼は「児童青少年知育協会」という半官半民の機関に勤務しており、生まれたばかりのこの組織で、子供向けの教育ドキュメンタリー映画やら、詩の朗読カセットテープやらを作っていた。絵本や童話も、これらの仕事の一環として「書いてみた」ようだ。後に世界的な映画 監督となったアッバース・キアロスタミ(『友だちのうちはどこ?』、『桜桃の味』など)も、同じ時期に「知育協会」に籍を置いていた。ここで彼は映画を撮り始め、アフマディーの最初の絵本にイラストを描いている。アフマディーはその後、30冊を超える絵本を世に送り出し、70歳になった今も、テヘランで絵本を書き続けている。
アフマディーの物語の最大の強みは、徹底した反復構造にある。ここで言う「反復構造」とは、例えば、ロシア民話の『大きなカブ』のような構造のことだ。カブを引っぱってみるが抜けないので、応援をひとり呼んでくる。そして、再びみなでカブを引っぱる。この一定のパターンの繰り返しだけで物語が作られている。緩い傾斜のついた坂道にボールを置いてやると自然に転がっていくように、物語はこの反復構造に乗っかって、それ自身で動いていく。無論、この坂道の傾斜は、恐ろしいほど絶妙だ。繰り返しの中で、物語は確実に進行し、「とうとう カブは 抜けました!」の結末に至るのである。
1985年に書かれた絵本『七つの日、七つのいろ』は、アフマディーの事実上の処女作で、シンプルきわまりない作品であるが、その後30年近くにわたって彼が書き続けた絵本のすべてのエッセンスが詰まっている。語り手が、少年主人公「ぼく」であること。「父さん」が「旅(出張)」に出かけて帰ってくるまでの間の物語であること。そして、「七」の繰り返しから成っていること。
主人公の「ぼく」は、七色の絵の具をもっている。そして、一週間のはじまりに、「とうさん」は出張に出かける。ぼくは、七日間、毎日一色ずつの絵の具を使って、絵を描こうと決める。土よう日(イスラームでは、金曜日が休日なので、一週間は土曜日から始まる)、ぼくは、みどり色で「ことり」を描く。日よう日には、灰色で鳥かごを描き加える。月よう日には、黄色でことりのエサを描く。火よう日には、青で水飲みコップを。水よう日には、赤い花を。そして、木よう日には、黒で鳥かごに錠前を描く。ページをめくるごとに、「ことり」を取り囲むものが、ひとつずつ増えていく。
「絵を描く」ことも、アフマディーの物語の重要なファクターのひとつである。彼の物語の中で、「描かれた絵」は、しばしば物語の中の「現実」世界と容易に行き来し、また、「現実」に影響を及ぼす。
『ミて』110号に掲載の『とうさんの色えんぴつと海』(原題『雨を描いたら、雨が降り出した』)では、「とうさん」が旅に出てしまった後、少年主人公「ぼく」が、おとなりの白い壁に色えんぴつで次々と絵を描いていく。ぼくが雨のしずくを描くと、雨が降り出す。ふいの雨に見舞われた「おとなりさん」に、ぼくは傘を描いてあげる。ひとりぼっちで悲しんでいる、おとなりの「松の木」には、寄り添ってくれる「もう一本の松の木」を描いてあげる。
ぼくが描いた絵を壁から取り出して運んでいくのは、「スズメたち」の役目だ。とうさんが旅立つときに置いていってくれたスズメと、ぼくの絵から出てきたスズメ。この二羽が「絵」と「現実」世界との媒介役を果たしていく。
物語のさいごで、ぼくは壁いっぱいに海を描く。舟を描く。そして、「絶対に消えない色」で「とうさん」を描く。とうさんは、ぼくの絵の中から、ぼくのもとへと帰ってくるのだ。
とうさんは、おみやげの みどりの色えんぴつで、ぼくの海をみどりに塗った。
海は原っぱになった。海はもう、海じゃない。
『一年でいちばん長い夜』
(1997)
元版表紙、サラーム・サラーム(salamx2)の絵本販売ページより。
サラーム・サラームは、ペルシア語絵本翻訳家 愛甲恵子&美術家YUMEのユニットで、これまで全国で20回以上イラン絵本の展覧会を開催。
アフマディーには、「おじいちゃんの物語」と題した七連作のシリーズがある。『春が来た、鳥はぼくたちにこたえてくれた』、『白いうさぎは、白いままだった』、『カメラマンが庭でぼくらを待っていた』、『リンゴの夢、夢のリンゴ』(『ミて』109号掲載)など、これらはいずれも、七人家族---ぼく、おかあさん、おとうさん、おねえちゃん、おにいちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん---をめぐる物語で、知恵袋としてのおじいちゃんがキーパーソンの役割を果たす。そして、ここでも物語を作り上げているのは、繰り返しの構造である。
「ぼくたちは みな リンゴの夢を見た」 夢の中で家族みなが、どうしてもつかまえられないリンゴ。おじいちゃんは、「決しては追いかけてはいかんのじゃ」と言い、7本のリンゴ苗を買ってくる。
『リンゴの夢、夢のリンゴ』
(1994)
~『おじいちゃんのお話集』(2008)新装版より~
「おじいちゃんの物語」シリーズのひとつ『一年でいちばん長い夜』は、冬至の夜に「ぼく」が見た長い長い夢のお話である。「ぼく」は夢の中で、自分に名まえがないことに気づく。おにいちゃんは、「おまえの名まえは、『海』だ」と言う。ぼくは、目も体も青い海になる。ぼくの目には、森も魚も鳥も青く見える。ぼくの体は、ぼくの青い服に重なって見えなくなる。「ちがう、ちがう・・・ぼくの名まえは、海じゃない!」 おとうさんは、「おまえの名まえは、『川』だ」と言う。ぼくは川になり、一時も休むことなく流れていく。ぼくには、家もふるさともない。「ちがう、ちがう・・・ぼくの名まえは、川じゃない!」 おねえちゃんは、ぼくの名を「木」だと言う。お母さんは、「星」だと、おばあちゃんは、「花」だと言う。ぼくは、大地に根を張り、遠い夜空に輝き、咲き乱れて散ってゆく。「ちがう、ちがう・・・もういやだ!」
ぼくは、おじいちゃんに助けを求める。世界中のものすべてに、美しい名まえがあるのに、ぼくにだけ名まえがないんだ、と。
すると、そのとき、おじいちゃんの暖かい声で、ぼくは目を覚ました。
おじいちゃんは、ぼくを呼んでくれた。
ぼくの本当の名まえで、ぼくの大好きなぼく自身の名まえで呼んでくれたんだ。
おじいちゃんは言った。
「ゆうべは明け方まで雪が降っていた。
一年でいちばん長い夜だったんだ。冬至の夜だ。」
「とうさんがにっこり笑って「いってくるよ」と言ったとき、スズメはとても悲しんだ。とうさんがいないと、どんなに池の水や赤い金魚を見たくても、だれも連れて行ってはくれないと知っていたんだ。」
『とうさんの色えんぴつと海』
(1989)
ぼくが描いたみどり色の「ことり」は、灰色の鳥かごの中にいた。鳥かごには、黄色のエサと、青い水飲みコップがあって、赤い花もあった。鳥かごには、黒い錠前がかかっていた。今日は、とうさんが帰ってくる日だ。ぼくは、白い絵の具で、錠前を開ける鍵を描こうと決めた。その日はどしゃぶりだった。ぼくは、ベランダに絵を放りだしたまま、玄関へとうさんを出迎えにいく。ベランダへ戻ると、雨のしずくで、鳥かごと錠前は消えてしまっていた。
アフマディーの物語のなかで、雨は、いつだって不可抗力だ。降りしきる雨が、鳥かごと錠前を消し去り、ぼくが描こうとしていた「白いカギ」の役割を果たす。そして、それは、「描かれた絵」の世界にも降りそそぎ、「ことり」に----ぼくたちみなに----惜しみない恵みをもたらすのだ。
ことりがいるよ、赤いお花があるよ、ごはんもあるよ。
そして、コップには、おいしい雨のしずくが たっぷりはいっているよ。
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