編集人:新井高子Webエッセイ


5月のエッセイ

  • 風邪にはプリン ――粉のお話(13)

新井高子


タヒチ産バニラエッセンス

春にタヒチに行って来ました。
 「粉のお話」の連載をしているのだから、なにか、ご当地の粉ものがないかなあ〜と、スーパーマーケットや市場を物色したのですが、なかなか見つからない。フランス領なので、気の利いたパウダーミックスは、そちらから運ばれて来ていましたし、小麦粉はフィジー産が多かったです。
 もちろんタロイモは有名だけど、持って帰れない。なにか手軽なものを…、と思って手にとったのが、バニラエッセンス。タヒチが良質なバニラの産地として知られていることを、わたし自身は、この旅行で初めて知ったのですが、たしかに、ガラスの小びんの蓋を開け、鼻先を近づけると、うっとりする甘い香りが…。
 それで、この匂いがいちばん活きるお菓子は?、と頭を巡らし、やっぱりプリンだなあと、先日、久しぶりに作ってみました(これに使う「粉」って、お砂糖くらいだけれども…)。


やわらかプリン

プリンというと、わたしは、風邪を引いたときを思い出すのです。
 子どものころ、洋菓子の専門店でプリンを買ってもらうことは、かなり贅沢なきもちでした。でも、当時でも、ショートケーキやモンブランに比べたら、お手軽な値段だったろうと思うのです。ただなにしろ、子どもだけで4人、みんなを合わせると7人の家族でしたから、銘々に買おうとすると、跳ね上がってしまう。「抜けがけ」でもない限り、カンタンにはあり付けなかったのです。

桐生には、当時、本町に「ナトリ」という洋菓子とパンの美味しいお店がありました。残念ながら、いまはもう、たたまれてしまっていますが、ここがわたしに与えた影響って、すごいもんだと思います。中学生のとき、ケーキ作りにハマちゃったのだって、きっとそうだもの…。
 本町は桐生の中心なので、郊外にあるわたしの家からは歩いていけない。父の車で…、ということになります。それで、銀行などに行く父といっしょに、「まち」(本町周辺のことを、そう呼んでいました)に出かけると、ナトリにも寄ってくれるよう、せがんだり、ひそかに期待したりしたものです。
 ただ、首尾よく店に入れ、ナトリのパン、バターロールやビスケットロールなら買ってもらえても、ショーケースの中に麗しくならんだお菓子までは、なかなか…でした。

それが、すんなり、口に入れてもらえるときがある。風邪を引いたときなら!
 消化がよく、栄養のあるものを、と母や祖母は考えたのだろうと思います。卵とミルクとお砂糖でできたプリンやアイスクリームは、熱のある病気の体にいいはずだ、と…。
 宮沢賢治のあの有名な「永訣の朝」で、妹のとし子のために、松の枝から取って来た「あめゆき」を、「天上のアイスクリーム」になってほしいと賢治は願います。それはたぶん、冷たさや白さのメタファーであるだけでなく、当時は、アイスクリームが、栄養ゆたかな食べ物として、いわば、クスリのように神秘な滋養をくれるものとして通っていたのでしょう。だから、賢治は、昇天する妹に食べさせたいと思ったんでしょう。
 そんな名残りが、昭和の桐生にも残ってた。それで、わたしたち兄弟のだれかが病気になると、その者は、ちゃっかり「抜けがけ」ができた(いえいえ、だれかの風邪のおかげで、元気な者まで、ほっぺを落とすときもあったなあ…)。ナトリのプリンやアイスクリームを、母や祖母が、一口ずつ、お匙ですくって、病気の喉元へさし入れてくれたのでした。まるで、離乳食のように…。そのときばかりは、もう一度、赤ちゃんに戻れた気分で、大手を振って学校を休めたことと相まって、妙に幸せだったのです。
 だから、風邪が、けっこう楽しみな子どもでした、わたしは。

陶酔するバニラの香りにひも解かれ、するする思い出したのは、こんな記憶でありました。