編集人:新井高子Webエッセイ


5月のエッセイ

  • 秘密のケーキ作り ——粉のお話(6)

新井高子

じつは、半年で10キロも太ってしまった時期がある。それは、中学3年の夏から高校入学前までのこと。
 いまもそうかもしれないが、当時の桐生の中学では、部活動がかなり厳しく、毎日、2キロくらいは軽く走り、腕立ふせも、腹筋も、反復横跳びも50回。素振りも、フォア、バックを、それぞれ100回くらいはやるような、基礎トレーニングの固まりな日々だった。
 というのは、部員が40人もいる、我が境野中学女子卓球部には、卓球台が一台しかなく…、つまり、球を打つ実践の時間が、おそろしく短かったのだ。が、たゆまぬ基礎力養成の甲斐もなく、最後の夏の大会を、はやばや敗退し、部活から切れてしまったわたしは、夏休みを持て余しはじめた。これは田舎のいいところで、高校受験といっても、地元の学校は限られていたから、ねじり鉢巻をする必要もなかった。

そこで、熱中しだしたのが、ケーキ作りだった。
 当時の西洋菓子の本というのは、日本人の「身の丈」にまだまだ合っていなかった。だからこそ、うっとりする、この世のものとは思えない、ケーキたちの「写真」に、わたしは心ひかれていた。「ジゴクノカマップタ」のエッセイを思い出してください。「ベルばら」が大好きな、ちょっと、西洋かぶれな子どもだったのです、わたしは…。
 ブルーベリーやアメリカンチェリーを乗せた巨大なタルト――そんな果物は、桐生のいちばん大きなスーパーへ行ったって、缶詰でさえ、なかったなぁ。
 いまにも羽を広げそうな、白鳥の形をしたシュークリームや、表面においしそうな焼き色の付いたプディング――単なるデコボコのシュークリームや、ひっくり返して台形になるプリンなら、地元のケーキ屋にもあったし、プリンとプディングが分かれたのは、日本人英語のシワザに過ぎないと、いまでは気付いているけれども…。
 そして、何より、ベルサイユ宮殿にしか存在しないと思われる、三段重ねの麗しい銀皿に、紙だか布だか推測できないほど、純白なレースを敷き、色とりどりのケーキやクッキー、ムースやゼリーを、てんこ盛りに並べるスタイル!――それは、日本で言えば、漆塗りの重箱みたいなもんで、ごく一般的な、イギリスのアフタヌーンティーの形式なのだと知ったのは、大学に入ってからです。
 というわけで、本の写真を眺めるたび、胸の中がワルツする西洋菓子に見とれた末に、制作を決意したのです。時間だけが湯水のようにある、15才のわたしは。

とはいうものの、自分の足で買いにいける「よろずや」めいた八百屋には、マーガリンはあっても、バターも生クリームもありません。父にせがんで、市街地にある西友に車で連れていってもらっても、アーモンドプードルやグランマニエなんてものは、目を皿にしても見つからない。
 母や祖母は、「なにもグラニュー糖じゃなくたっていいんだよ。三温糖でもオンナシだ」とか、身も蓋もないことを言う。オスカルにも食べさせたい菓子作りを目指す、頭デッカチなわたしに…。ええ、いまなら、そっちが正しいとよくわかります。フランスの家庭だって、地元の砂糖をお菓子に使ってるはずだもの。ただ、「若い」とか「成長中」とかいうのは、そのいい加減さの「加減がわからない」。だから、必死に苦悶する、ってことなんですネ。


ドライフルーツのパウンドケーキ


チョコレートのパウンドケーキ

そんなとき、救世主が現れた。
 「マドモアゼルいくこ」です。ご存知の方が、あるでしょうか。主婦と生活社の「20世紀ブックス」に、彼女は『秘密のケーキ作り』なる本を、シリーズで出していました。当時、けっこう流行ってたと思います。桐生の本屋でも、たしか平積みになっていたと思うから‥。
 そこには、池田理代子先生とは違うセンスがありました。著者自身による、かわいいイラストがたくさんあった。非日常のかわりに、ちょっと、ヘタウマ仕立ての、親しみやすいマンガが、ちょこちょこ挿し込まれていたのです。紹介文も、畏れおおいウンチクではなく、リスやうさぎに、絞り出し袋や泡立て器を握らせながら、ポイントを、吹き出しでアピール。そして材料も、ほとんどが、ともかく西友なら買えるものばかりだったのです。
 思えば、それは70年代と80年代の境い目、高度成長から安定期に変わった時期。できるかぎり欧米に近付きたい、ムヤミさとは別の、昨今の「かわいい」的センスの源流が生まれつつあったのかもしれませんネ。片田舎の小ムスメであったわたしは、だからこそ、そんな変化に、飛びついたのでしょう。

というわけで、来る日も、来る日も、「マドモアゼルいくこ」でした。なめるように読み浸り、そして、作りはじめました。
 いくら7人家族と言っても、そんなに作られたら、みんな困ります。何しろ、不器用な中学生の仕事です。シュークリームがけっきょく膨らまず、「薄焼きサブレのクリーム乗せ」になってしまったり、スポンジケーキに砂糖を入れ忘れ、「たいへん手のかかったホットケーキ」になってしまったりする…。
 だから、しだいに、だれも食べなくなる。でも、また作りたい。ならば、自分で食べるしかない…。てなわけで、激しい部活動がなくなった上に、やたらと、こしらえちまうわたしは、「お前は、日に日に肥えていく」と、兄から、後ろ指をさされるようになりました。
 「マドモアゼルいくこ」氏が、またニクイ。シリーズの何巻目かは、ダイエットケーキ特集でした。体型の危うさをかなり自覚しながらも、ものごとの「加減」がわからないわたしは、ダイエットケーキなら太らない、これなら作り続けていい!、と読み替えてしまったんですね。ええ、いまなら、ケーキとダイエットはそもそも二律背反で、ダイエットケーキとは、普通のより、ほんのちょっと太りにくいだけ、とわかりますけど…。


木の実のタルト

幸か不幸か、いまは、作りすぎるほどケーキに時間はかけられない。おかげで、体重を気にしなくて済んでいますが、たまには、簡単なものを焼きますよ。先日は、意を決して、ほぼ30年ぶりに(!)、タルトなるものを焼いてみました。木の実のタルト。アーモンドプードルは、すぐ手に入りましたよ。歩いて10分足らずの店にあり、妙な感動を覚えました。
 中学生のあの頃、なぜ、プードルという「犬」がここに登場するのか、じつは、ギモンでした。この材料でプードル型のお菓子も作るのかな…、と勝手な想像をしてました。白鳥型のシュークリームがあるのだから、プードル型のアーモンドケーキを想い描いたっていいじゃないですか。
 店頭で袋をにぎり絞め、ハタと、気付きました。この名前は、単に、フランス語で「粉」に過ぎなかったと…。プードルとパウダーを分けてしまった日本人のカタカナ語を、うらめしく、ほほえましく思いながらネ。

*残念ながら、中学生の頃、作ったケーキの写真はなくて、掲載は最近作です。