編集人:新井高子Webエッセイ


6月のエッセイ


  • イスラーム絵本・ガイドブック(1)
    ――『あたし、メラハファがほしいな』(光村教育図書、2014)

前田 君江

 このエッセイのタイトルにあるような「イスラーム絵本」というジャンルが、そもそもあるわけではない。それなら、新しく つくってしまったらどうかと、ひそかにおもっている。イスラームについての最も大きな誤解のひとつは、「イスラームとは/イスラーム教徒とは、○○なものだ」という決定版みたいな実像があると思われていることだ、と思う。

 「中東研究」なんていうモノのそばで長年をすごし、中東にも暮らした私にとって、イスラームはつねに身近でホットなトピックだった。イスラームの専門家と、ホンモノのイスラーム教徒に、いつも囲まれていたからだ。一口に、イスラーム教徒といっても、宗教を背くべからざる規範として、あるいは、「心のふるさと」として大切にしている人たちから、宗教と宗教権力による強制を、心底忌み嫌う人たちまで、実にさまざまだ。

 ビールも飲むし、礼拝もする、という人も地域によっては珍しくない。「私たちの国では、ヴェールをつけていれば、男女は対等なの。でも、私が働いた日本の職場は、男女平等じゃなかった」と話す中東女性もいた。高名なイスラーム法学者である祖父をもち、長いヴェールにしっとりと身を包む信仰深い友達の家で、女ばかりで深夜まで、下ネタばなしに興じたこともあったっけ・・・。
(※注)筆者個人の、ごく限られた体験によるものであることを、お断りしておきます!

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 このエッセイで紹介する「イスラーム絵本」のテイギ(定義)は、2つ。楽しい絵本であること。宗教についてリクツで説明するものではなく、イスラームが息づく場所で生きている人たちの日々の暮らしが見えるものであること。「楽しい」には、もちろん、「びっくり」や「切ない」や「こわ〜い」も含まれていい。それにまあ、リクツも・・たまには、あってもいい。

 そんな「イスラーム絵本」をひとつずつ見つけて翻訳していくのが、今の私のライフワークだ。けっこう無謀なわりには、計画はすすんでいる(きっと次回のエッセイでは拙訳絵本も紹介できるだろう)。それとともに、すでに出版されている絵本も大切に読まれていってほしいと思っている。

 「イスラーム絵本・ガイドブックの1回目で紹介するのは、モーリタニアの女の子が主人公の絵本、『あたし、メラハファがほしいな』(ケリー・クネイン作、ホダー・ハッダーディ絵、こだまともこ訳、光村教育図書、2014)。

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 『あたし、メラハファがほしいな』は、おねえさんやおかあさん、おばあさんがまとうメラハファにあこがれる、女の子のおはなしだ。メラハファは、モーリタニアの方言で、女性が体をおおうヴェールのことで、宗教的なものであるとともに、民族衣装でもある。モーリタニアは、北アフリカの西のはじっこにある、砂漠と海に囲まれた小さな国だ。

 ページをめくるごとに現れる、色とりどりのメラハファは、どれもとっても鮮やか。白地に大きな花柄、ショッキング・ピンク、オレンジ、きいろ、水色。それらをまとった一人一人が、女の子が口にするあこがれ――「あたし、メラハファがほしいな。だって、ひみつめいてみえるもの」――を軽やかにはぐらかしながら、大切なこたえへとみちびいってくれる。身近な人たちの手で、女の子の、大人の世界への最初のとびらが、しなやかに開かれるのが、とてもうれしい。




 砂漠の絵や、ポップな砂糖菓子みたいな土壁の家が並ぶ風景、そして、ひとつひとつの窓に、人々のお祈りする姿を見えるのもほほえましい。
 ゆうぐれの屋上で、はじめてのメラハファをまとい、おいのりのために、おかあさんとならんで立つ女の子。風になびくメラハファが、このうえなく軽やかだ。

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 この絵本に出会ったとき、わたしはどうしても、モーリタニアの「メラハファ」について、もっと知りたくなった。イスラーム教徒の中には、ヴェールを生活の一部として、また、誇り高きものとしてまとう人たちもいる一方で、強制として嫌悪する人たちもいる。(それは、多くの場合、その人が育った社会環境によって異なる。どちらが正しい姿勢であるかという問題ではない。)たとえ、絵本の読み方としては反則だったとしても、「この国には、いったいどんな社会が形作られているのだろう」と、問わずにはいられなかったのだ。

 思い余った私は、とうとう、とある中東文学の研究会で、モーリタニア研究者にむりやり来ていただいて、解説をお願いした。この絵本の編集協力も務められた竹田敏之さん(京都大学イスラーム地域研究センター研究員)である。

 絵本の雰囲気そのもののようなモーリタニアの写真を見せていただき、また、一見、辺境のこの国が、イスラームやアラビア語研究の伝統ある地域であることを伺った。そして、小国ゆえの素朴さ、「ゆるさ」、自由が、宗教にかかわる気風としても漂っていることを知った。

 「アフリカ各地で英語教師として暮らしたアメリカ人作者ケリー・クネインは、きっとモーリタニアの人々と風土のなかで心地よく過ごし、ふわっと感じたままを絵本にしたのではないだろうか」――そんな魔法にかけられてしまったのだった。

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 「なんで、あんなものかぶってるんだろう」と、日本人の目には奇異にも映るイスラームのヴェール。わたしたちが抱く、たくさんの違和感や疑問を、やさしく包み込んでくれる絵本だ。
朗読時間8分30秒くらい。

『あたし、メラハファがほしいの』のイラストを担当したホダー・ハッダーディーの絵本『天国のサクランボが実ったよ』
(イラン、ペルシア語)