2014年の年末、福岡開催の研究会で発表をした足で、炭坑で栄えた土地、筑豊を旅しました。
私は唐十郎さんの戯曲を読み込んでノートを書くしごともしていますが、唐さんがよく語ることの一つに、田川のボタ山(石炭を掘った時に出る捨石の山)に紅テントを張ったときの武勇伝があります。その話にわくわくして、いつか行ってみたいと思っていたのです。また、しばらく前に、目黒区美術館で山本作兵衛、岡部昌生や富山妙子の炭坑の絵を見て、心打たれてもいました。
石炭記念公園などのほか、まずは、田川後藤寺と田川伊田の駅周辺の商店街をぶらぶら歩きました。どちらも半分以上が、閉まったままのシャッター街。ダンスホールや洒落た名前のスナックの看板などを見つけ、炭坑が華やかだった頃はどんなに賑やかだったかと想像しながらの旅。じつは、わたしの故郷、桐生の商店街も似たような状態ですから、それも味わい深い気がするのです。昼ごはんに、田川後藤寺駅のそばにあるうどん屋さんで食べた「肉肉うどん」、旨かったなあ。生姜といっしょにじっくり煮込んだすじ肉が、ぴったりうどんに寄り添っていました。肉の味がじゅうぶんに引き出されるまで、ことこと時間をかけたものが、手頃な値段で食べられる。都会ではかなわないこと。
そして、やっぱり甘いものに目が行ってしまうわたしです。福岡名菓「千鳥饅頭」を買い喰らいしながら歩いていると、べつのお菓子屋さんの入口に、「黒ダイヤ」「白ダイヤ」という筆書きが……。何だろうと思いつつも、ともかくボタ山の近くに行ってみたかったので、そばに止まっていたタクシーに乗りました。「ボタ山までお願いします」というと、怪訝そうな運転手さん。
運転手(D):ボタ山?、そんなの、ないよ
わたし(T):えっ、石炭公園にあっちの方向だって、書いてあったけど……
D:ボタなんか見られないよ。もう木が生えてるんだから
T:えっ?
D:ふつうの山だよ、どう見ても。行ったって、がっかりするだけだよ。それでもいいの?
T:は、はい……、せっかくなんで
走り出す車。運転手さんは田川に生まれ育って、若い頃は関東で自動車関係の職に就き、また戻ってからタクシーのしごとを始めたんだそうです。
D:こっちの方はね、喋り方が乱暴なんだよ。俺なんか丁寧な方だよ。
T:あたし、桐生で生まれて、群馬も乱暴だから、じつは荒っぽい方が安心なんです
D:あ、群馬。行ったことあるよ
連れて行ってもらったボタ山、たしかに黒い山ではありませんでした。もくもく緑に覆われていました。けっこう高い木も立ってます。草も木も、石炭の捨石に根を張って、がむしゃらに育ったんですね。植物がボタを自分のものに慣らしちゃった景色、来てよかったと思いました。住宅地のなかに、ポツンと、こんもりあるので古墳のようにも見える。
T:さっき、和菓子屋さんに、「黒ダイヤ」、「白ダイヤ」と書かれてたけど、このあたりで有名なお菓子なんですか
D:羊羹だよ
T:はあ
D:炭坑は重労働だろ。甘いもんが無性に欲しくなる。ワレ先きに羊羹を丸かじりしたんだよ。黒い羊羹が黒ダイヤ、白い羊羹が白ダイヤ
石炭が「黒いダイヤ」だった頃、坑夫たちが競い合って欲しがった羊羹に、その名がうつされ、産業の方は衰えても、菓子の名前で残ってる。そうして、いまなお巷を跋扈している。ちなみに、「白ダイヤ」は石灰石のことだそうです。JR後藤寺線に揺られているとき、たしかに大きなセメント工場がありました。半ば、この土地の亡霊になったかのような、古めかしい妖気漂う工場でした。
D:このあたり、景色がみんな、おかしいだろ。ぜんぶ石炭の名残りだよ
T:はい?
D:ほら、その山、妙な台形だろ。あんなの自然の姿じゃない。炭坑業のために切り崩したんだ。どこもかしこもだよ。地盤だって傾いてるんだから
言われてみると、妙な直線をどこかに背負った山や丘ばかり。運転手さんの話に聞き入っていると、「いまでもちゃんと人が住んでる炭住(炭坑住宅)があるから、見たければ案内するよ」。たぶん、運転手さんは、手合いがしらのツッケンドンを、ほんとうは気に掛けてくれてたような気がします。
その炭住は運転手さんの知り合いの家でしたが、わたしにはじつに懐かしかった……。子どもの頃、うちの織物工場の織り子さんたちが住んでいたのも、同じような長屋だったんです。木造平屋の二軒長屋、三軒長屋。建物の横に置かれたプロパンガス、そのボンベにも見覚えがありました。目新しいのは、エアコンの室外機があることかな。
博多へ帰る道は、往路と違う路線を使おうと平成筑豊鉄道(マスコットの「ちくまる」がかわいい)に乗り、直方(なおがた)にもしばし立ち寄りました。そこの商店街で見つけたお菓子は「成金饅頭(なりきんまんじゅう)」。いちど聞いたら忘れられない名。何軒か、その専門店を見つけました。この名も、炭坑で金持ちになったことにちなんでいる、とか……。まっ直ぐな、衒いのない名付け方は、町が昇り調子だった頃の「勢い」そのもの。
姿は、「どら焼き」そっくりで、真ん中に梅の花の焼印が押されている。そして、大きさはいろいろ。ふつうのどら焼きサイズもあれば、誕生日のデコレーションケーキぐらい大きいのもあれば、その中間も。贈答品にするときは、用途によって焼印が変わり、結婚式は「寿」、法事は「佛」。直方では、冠婚葬祭のすべてに成金饅頭が顔を出すとのこと。
小さいのをひとつ買って、バクッ。
ア、餡んこは、白あん。そうか、金貨を模してるんだね……。
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