編集人:新井高子Webエッセイ


3月のエッセイ

  • 形を欲望するパン ―粉のお話(23)

新井高子

このごろは、美味しそうな小麦粉、面白いパンミックスがないか、旅先でつい物色してしまうんですが、そうすると意外なことも招きます。
 なんせ、わたしは愛敬が取り柄の、純朴そうな顔立ちですので、空港などでトランクの中味を見られたこと、これまでほとんどなかったんです。ところが、最近、税関でよく開けられます。先日は、手荷物じゃなく、搭乗前に預けたスーツケース、その鍵まで壊してチェックされてました。金目のものも含めて何にも盗られていないので、泥棒じゃない……。たぶん、X線の透視画像に映った小麦粉の袋を、別種の「粉」と疑ったんじゃないか。つまり、わたしのこと、例の「運び屋」と思ったんじゃない?
 もちろん、年輪を重ねて、人相がだいぶ怪しくなってるって線も、ぜんぜん否定できないですけど。
 その苦難をかいくぐり、アメリカ旅行でも、ホームベーカリー用のパンミックスをいくつか買ってきました。ライ麦をベースに、キャラウェイシードが入ったミックス粉、うちのロボさん(ホームベーカリーのこと)に焼いてもらったけど、旨かったなあ。

それは、カリフォルニアのスーパー・マーケットでありました。あちらでは、ごくふつうサイズの店舗でしたが、オレンジやグレープフルーツが、わたしの腰丈より高い「山盛り」で店頭に出てました。コロコロ、ゴロゴロ、外へ転げ出しても、一つや二つじゃなく、十や二十、ぜんぜん気にしないって感じ。TPPとかで、このアメリカの生産力がそのまま日本にやって来たら、柑橘農家は一たまりもないだろう……と、正直、感じました。
 粉のコーナーも、てんで種類豊富。それで、日本にないものを……と思い、「Wheat Free / Gluten Free」、つまり小麦粉やグルテンを使わないパンミックスが目に止まったんです。わたしが買ったのは、「Bob's Red Mill」(訳すと、「ボブおじさんの赤い粉挽き小屋」かしら)の製品、「Homemade Wonderful Bread Mix」(おうちで作る素晴らしいパンミックス)。
 そのパッケージには、「Dear Friends」(こういうアメリカ英語って日本語にならないね。「親愛なる皆さまへ」では固すぎるし、「大好きな友だちへ」では砕けすぎるし…)という宛名で、こんなメッセージが書かれていました。

「わたしたちの会社は30年以上前に始まりまして、石臼挽きの全粒粉製品を多種多様に展開し、世に送り続けてきました。10年くらい前から、玄米やモロコシやキノアを買うのと同じように、グルテン・フリーの粉をもっぱら購入する方々があることに気付きました。それからほどなく、わたしたちはセリアック病(小児脂肪便症)やグルテン・アレルギー、それらがどんなに深刻かを学びました」

「Bob's Red Mill」製、グルテン・フリーの粉

原材料の表示


日本でもアレルギーの子どもたち、とても多いですが、アメリカはもちろん……。マクロビオテックなど、食事療法というか体に良いナチュラル志向の人にも、グルテン・フリーが好まれていると聞きます。日本の米粉パン・ブームとも通底してますよね。それで試しに購入したわけです。
パンミックスの材料を見ると、

「ひよこ豆の粉、じゃがいものデンプン、コーンスターチ、モロコシの全粒粉、タピオカの粉、脱水したサトウキビジュース、空豆の粉……」

つまり、豆とじゃがいもとトウモロコシとタピオカの粉で作るパン。ずいぶん凝ってるんだなあ。なんだか、すごい。「脱水したサトウキビジュース」は直訳だけど、精製してない砂糖ってことでしょう。じゃあ、どんな味?
 作ってみました。パッケージのレシピに従い、牛乳(豆乳も可)、卵、オリーブオイル(溶かしバターも可)、シードルビネガー、ドライイーストを入れ、ロボさんにお願いして。途中、何度か蓋を開け、しめしめ、ちゃんと発酵してる。ロボのお腹に火が点れば、いい匂い。
 焼き上がりました。背丈はふつうのより低めですが、堂々の「パン」。工夫を尽くした粉のブレンド、成果が出ているんじゃないでしょうか。パンとケーキの合いの子のような、軽やかな芳味です。
 ただ、噛みしめながらふと思う。茹で豆、蒸かし芋、焼きとうもろこし……だって、旨いよね? なんで、ここまで「パン」にこだわるんだろう? 主食がほしいから?

焼き上がりました

切りました

並べました


もう随分前ですが、台湾の友人宅にホームステイしたことがあります。ちょうどお盆(中元節)の時期でした。かの地ではご先祖さまに鶏の丸焼きを供えるのが慣わしだそうで、町には露天商が出て、所狭しと、首を伸ばしたローストチキンが並んでいました。
 でも、わたしがステイした一家は、健康のために菜食主義(あちらでは「素食」と言います。詳しくはこちら)。すると、そのための市場もあるそうで、いっしょに買い出しに……。
 あら?、ズラリとその丸焼きが並んでる。「いまだけ、肉を食べてもいいの?」と、思わず友人に尋ねました。彼女は笑って、「あれ、肉じゃないよ。ぜんぶ豆腐で作ってる」。つまり、ローストチキンそっくりのガンモドキだったのです。「ガンモドキ」は、もともと雁擬き、つまり肉擬きから来ているというから、この光景はまさしく語源に立ち会っているのか。

パンの形、チキンの形。
 代用ということばで、片づけてはいけない気がする。もっともっと複雑な、深い「欲望」を感じます。粉というより、形への欲がパンになった……。そんな形而上的なエネルギーを感じてしまうのです。わたしたちは、「味」と甲乙つかないほどに、「形」も食べているんですね。