編集人:新井高子Webエッセイ


1月のエッセイ

  • 栗のくりちゃん――粉のお話(10)

新井高子

学生時代、矢野顕子をときどき聴いていました。
 『Welcome Back』というアルバムの中には、「みのりのあきですよ」という童謡風の歌(作詞・糸井重里)があります。これは、ナシやブドウなど、果物めぐりな曲なのですが、ひょっこり栗も登場します。たしか、こんな歌詞で。

栗のくりちゃん
 びっくりばこ
 はじけます
 マローン、マローン、マローン、げんきね
 みのりのあきです
 おいしいあきです、虫もないてます

幼な心とナンセンスの境い目をいく洒落たポエジーが、矢野のふぅわりしたボーカルとピアノ、シンセサイザーで、コケティッシュに口ずさまれる曲。本格的なボーカリストが童謡を歌う、その一種の落差みたいなものが、不思議な広がりを醸してくれます。
 以来、秋になると、この「みのりのあきですよ」が、よく頭の中を駆けめぐるのです。

考えてみれば、じつは、かなり特別な食べ物かもしれません、栗って…。うまいサツマイモを頬ばれば「栗みたいに甘い」というし、カボチャにだって「栗のようにホクホクしている」とみんなが使う。「とっーても美味しいもの」の基準なんですね。実際には、茹で栗よりも、焼き芋の方が糖度が高い気がするし、カボチャのコクだってそう…。だから、リアリズムじゃない。栗という食べ物には、ファンタジー、「幻想」が相当入ってるんじゃないかしら。今年、99才になる祖母の大好物でもあるのですが、うちのおばあちゃんは、饅頭とか煮物にも、同じような誉め言葉を使ってます。

こんな喩え方をほかにも思い浮かべるなら、「蜜のように甘いリンゴ」「砂糖のように甘いイチゴ」。でも、蜜や砂糖は、食べ物というより調味料だから、ちょっと違うなぁ…。「トロのように脂がのったカツオ」なら、ぎりぎり大丈夫かな?
 食べ物の旨味って、やっぱり、それぞれの持ち味が、はっきり際立ったときに成り立つから、「◯◯のような××」、つまり、種類の壁を越えていく比喩って、あんまり使わない気がする。いくら舌鼓を打ちたくなったとしても、「牛肉のような鶏肉」とか、「松茸のような香りのシメジ茸」とか言わないものね…。そう言っちゃったら、鶏肉やシメジ茸から、本来の旨味や香味を奪っちゃうことになるんでしょう。そして、そもそものソレがない肉や茸なんて、高価な何かに似ていたとしても、上質とは到底見なされないんでしょうネ。
 だから、「栗のような××」を普通に成立させちゃう栗って、日本語世界の中で、ものすごーく偉大な、王様的な食べ物かもしれません。「銀シャリのような麦飯」だって聞いたことがないのだから、お米さえ凌駕しちゃうパワーのよう。むかしむかしの日本人の本当の本物のごちそうって、もしかしたら栗だったのかなぁ…?、なんて妄想しちゃいます。


マロンパイ


マロンタルト

先日、フランス料理に詳しい人とおしゃべりする機会があって、当地では、日本のように、栗を特別に尊ぶことはないと言ってました。
 日本では、どんなケーキ屋さんにも並んでる、あのモンブラン。もちろん発祥はフランスですが、カスタードクリームを詰め、マロンクリームをねじねじと巻いて、ちょこんとテッペンに甘露煮を乗せるあの定番スタイル、それは日本独自のよう。東京・自由が丘の洋菓子店、その名も「モンブラン」のアイデアなんだそうです。だから、かなり、餡パンに近い代物と思った方がよさそうです。

いっしょになったつれ合いが、また無類の栗好き。それで、秋から暮れにかけて、いくつかお菓子に挑戦してみました。マロンパイ、マロンタルト…。
 市販のペーストやパイシートを使ったものなので、レシピを書くほどの品ではありませんが、「幻想」を取り込んだ栗という食材には、付加価値がつきやすいのでしょう…。材料にけっこう値が張ったので(苦笑)、ちょっとは緊張して作りましたよ。
 ただ、残念なことに、2011年は全国的に不作だったようです。ふだんは、年明けまで生の栗が置いてあるお店でも、11月初旬で終わりになってしまいました。
 訪れたばかりの2012年が、「マローン、マローン、マローン」、げんきに、栗の当たり年になるよう祈ってます。