奄美大島の「ふくらかん」というお菓子をご存知ですか?
巷のスーパーで売ってる黒糖入り蒸しパン、蒸しケーキと同じように見えますが、似て非なるものなのですぞ。いえ、たぶん、ある程度、作り方も似ているのでしょうが、島名産の砂糖のおかげで、何とも「こっくり」した、風味豊かな味わいなのです。わたしは、だーーい好き。奄美でも、お店によっては、干しぶどうが入ってるのもあるけれど、プレーンな方が、黒砂糖が活きる気がします。
沖縄に行ったときもそうでしたが、奄美では、お茶うけに、小さく砕いた黒糖が出てくることがよくあります。サンサンと降りそそぐ光の路地を歩いた後、ちょっと縁側に腰掛けたり巨木の木蔭で休んだりしながら、黒糖をかじるときのこの美味しさ。たまりません。それは、舌だけで味わってるんじゃないんですね。一瞬のうちに、からだ中に、栄養やミネラルがぎゅんぎゅん巡っていく。からだ全体で吸い込んでる。赤ん坊のとき、乳首をしゃぶってオッパイ飲んでた自分は、きっとこんなふうだったんだろうなー、って思う。
その黒糖をふんだんに使ったお菓子が、「ふくらかん」なのです。甘さは、ふつうの蒸しケーキくらいなのですが、断然、深いのです、甘みが。
「甘さ」と「甘み」って、不思議な言葉の使い分けですよね? たった一文字違いだけれど、抱えるニュアンスがずいぶん違う。「甘さ」っていうと、単純な尺度、量的な甘さのレベルでしょ?
「甘さ控えめのコーヒー」は使うけど、「甘み控えめのコーヒー」って言わない。反対に、自然塩みたいなのを嘗めて、「この塩には甘みがある」とは言うけれど、「甘さがある」はほとんど使わない…。たぶん、「甘み」の方は、「甘さ」のまわりにゆらゆら漂ってる、フクザツな、もろもろの味わいを、ぜーんぶ引っくるめてる。いえ、むしろ、ゆらゆらの方に焦点が当たってる。
だから、はかり知れない…。スプーン一杯か二杯かで、「甘さ」は加減できるけれども、「甘み」は、計測したり調合したりできないんじゃないかな。
つまり、精錬しつくされたグラニュー糖は「甘さ」でも、サトウキビ畑からヨッコラ収穫されて、絞ったばかりの奄美の黒糖は、ダンゼン、「甘み」!(だって、両方、アマミだもん、ナンて…)。
一口、ふくらかんを食べただけで、何段も、味覚の階段を降りていく感じがする…。だから、自然と、噛みしめたくなる。砂糖にも鮮度って、あるのかな? こちらで売ってる蒸しケーキは、黒糖の配分自体が少ないものもあるんでしょうが、この階段がない。だから、「こっくり」を感じない。 たぶん、重曹で膨らましていることも、風味に一役買っているんだろうなあ。じゅわじゅわっと、味が広がっていくあの感じは、重曹がはじけた余韻でもあるんだろう。
手もとに、『新版 シマヌジュウリ』という料理本があります。「シマヌジュウリ」は、島言葉で「島の料理」だそうで、そのなかに、もちろん、ふくらかんも入っているので、レシピを要約して抜き書きしますね。「ふくらかん」とは、「膨ら菓子」という意味だそうですが。
(『新版 シマヌジュウリ』P205より)
粉、1キロというと、かなりの量だろうと思います。親戚や近所が集まって、大勢で食べる量ですよね。お祭りとか人寄せで作ることが多いのかな?、奄美では…。ふつうの家庭では半分で作っても、大きく立派な「ふくらかん」が楽しめるはず。「指の間からもれ落ちる程度」なんて、ステキな描写でしょう? 奄美のお母さん方の肉厚な手が、パッと浮かんでくるでしょう?
そのうち、わたしも挑戦しなくては!
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