編集人:新井高子Webエッセイ


8月のエッセイ

  • 北野さんのデンプン ——粉のお話(7)

新井高子


デンプンの袋

じつは、春に、リレー・エッセイ執筆者のひとり、種子島在住の北野健治さんが、東京にやって来ました。飲み屋に着くと、ちょっとうつむき、含み笑いめいた表情で、「新井さん、せっかく、粉のお話かいてるんだから、これ、プレゼント」と、カバンから、白い袋を取り出しました。
「えっ、なに?」
「島のデンプン。店のおばさんによると、粉と水は、2対1だって」
「えっ、これは焼くの?」
「そうでしょ、たぶん」
えっ、えっ、そうなの? 説明はそんだけ?
 お通しが運ばれてくると、お酒をやんやと飲み始め、文学やら音楽やら二人で喋り出して、隣席のおじさまもエキストラで乱入し、すっかりいい気分になって帰宅したわたしの手もとには、ともかく白い粉が、ぽつんと残されたのです。袋を押すと、粉がキシキシいう、あの感じがします。


かき混ぜる


焼くと、気泡が出てくる

思えば、これを「デンプン」と、科学成分みたいに呼ぶこと自体、ちょっと衝撃でした。ふつうは、「片栗粉」じゃないですか。それは、もともとは、カタクリという植物の根ッコが原料だったけど、いまは、もっと安価なジャガイモでほとんど作られ、棒状の紙袋に入れられてスーパーに並んでる、アレ。そして、わたしが片栗粉を使うときと言ったら、まあ、唐揚げ用の鶏肉にまぶすか、かき玉汁に加えてトロミを出すくらい。
 でも、北野さんの話の様子だと、種子島では、どうやら大事な、名産の食材らしい。南国では、ジャガイモよりサツマイモの方が土地に合ってるだろうから、これは、サツマイモのデンプンなの?
 「新井さん、ともかく2対1。2対1だから」と、別れ際に、比率を念押ししていた北野さん。だったら、そこだけ守ってやってみよう。

というわけで、まずは、チャレンジいたしました。
 ダマになるかと思いきや、泡立て器でかき混ぜると、粉が水にすっきり溶けました。フライパンに油を引いて、ジュッと流し込むと、縁から、透き通るように焼け始めます。ほどなく生地の中に、気泡のようなものがいくつかできて、まあ、このくらいでいいかな、とフライ返しでひっくり返しました。表も裏も、だいたい半透明な感じになったところで、お皿に、パタッと移しました。
 卵焼き用のフライパンで焼いたので、四角くできましたが、こんな感じでよかったのかな? たしかに、2対1で作ったら、ちゃんとまとまったので、黄金律なんでしょう。
 お塩もなんにも入れなかったので、とりあえず、桐生の親戚のおばちゃんからもらった、手作りの「唐辛子みそ」なるものを、添えてみました。
 焼きたてをぱっくり食べてみると、なんというか、お好み焼きとコンニャクの、ちょうど真ん中くらいの、新鮮な食感。クチャクチャとプルプルの間の、クプクプみたいな…。サツマイモの味は、ほとんど感じなかったけど、とくに、生地の端ッコや気泡の部分が、カリッと油を吸って美味しい。ふむふむ。さーすが、土地のおばちゃんというのは、種子島であろうが桐生であろうが、相通じる味覚を持っているよう。チョイ辛な唐辛子みそとの愛称もバッチリで、風味を引き立てあってくれました。


唐辛子みそを添えて

餡ンコといっしょに

ふーむ、ふむふむ。それじゃあ、こんどはゴマ油で、もう少し焦げ目を付けてこんがりと、餡ンコで食べてもイケそうだ!
 生地に少々お塩を入れ、たっぷりめにゴマ油を敷きました…。そしてさいごに、お盆のおはぎのためにちょうど作ってあった粒餡を乗せてみました。頬張ります。美味しいです、美味しいです。

なんだか、エッセイ担当者なのか、単なる甘いもの好きなのか、境界線が見えなくなってきているわたくしではありますが、「粉のお話」もシリーズ7回目となったところで、「ミて」メンバーの心遣いに支えられ、なんとか原稿を書き上げた8月です。種子島では、ほんとうはどうやって食べてるのかな…?

北野さーん、デンプン、ありがとう!