編集人:新井高子Webエッセイ


2月のエッセイ


  • 自画像から始まる物語

髙野吾朗

 ずいぶん前から、月に一度か二度のペースで、私営の絵画教室へと通い続けている。高校の美術の授業以来、絵を習うのはまさに二十数年ぶりであった。これといって大きなきっかけはなかったのだが、好きでずっと続けている詩作のための格好の「頭の訓練」になってくれるのではなかろうか・・・という軽い気持ちが一応の理由であった。教室の講師は一人だけであり、男性でわたしよりも少し若い。教室全体の雰囲気はそれほど重くはない。わたしが通っているのは夜に開講される「趣味」クラスであり、受講している人たちのほとんどは、現役社会人か定年退職者、または「専業主婦」と自称する人たちである。皆それぞれ、思い思いのスケジュールを組んで授業に出席しては、授業時間が終わるまで好きな絵を好きなだけひたすら描くのである。全体講義の時間や共通テキストなどは一切なく、全員が同じ課題を一斉に遂行させられるようなことも一切ない。男性講師は受講生たちひとりひとりに順番に声をかけながら、それぞれにまったく異なるジャンルや主題、そして世界観に対し、的確なアドバイスを次々に与えていく。デッサンや配色などについての基礎的知識を、彼から時おりマンツーマンで自発的に教わりつつ、描きたいものを描きたいだけ、作りたいものを作りたいだけひたすら頑張っているうちに、授業終了の時刻があっという間にやってくる、というのが常である。未完成の作品を作業場に置いたまま帰宅するもよし、「これで完成」と思うのならば、そのまま持ち帰ってもよし。すべては受講生ひとりひとりの自由に任されている。

 

写真その1

 この教室ではじめてわたしが描いてみたのが「写真その1」の作品である。どういう理由でこのような絵を描こうと思ったのか、いま考えると自分でも正直よくわからない。ただもう闇雲にいろんな線を紙の上に引きまくりたい、そして、後先などあまり考えずに紙の上に原色をただただ思い切り投げつけてやりたい、とにかくそれだけを思いながら無心に描いているうちに、結果的にこうなったのだった。どこまで描けば真に「完成」といえるのか、われながら不明瞭なままでいるうちに授業終了時刻が来てしまったので、講師にそのまま見せてみると、「この未完成な感じのままで完成、ということにしましょう」とのことだった。なるほど、そういうものかと思いつつ、このままの形で自宅に持ち帰ることにした。そのまま机の引出しにしまい込んでしまおうかとも考えたのだが、なぜかふと気が変わり、結局は家の階段横の壁に画鋲を使って臆面もなく展示してみることにした。さほど気に入った出来栄えでもなかったはずなのだが、一体どんな心境の変化がそうさせたものやら、これまた自分でもよくわからないままである。

 さて、本題はここからである。

 前述の作品をわたしが自宅の階段に飾ってしばらく経った頃、この絵の中の人物と全くそっくりの顔をした男が、わたしの通う「趣味」クラスに突然「新規の受講生」としてふらりとやってきた。「あんな抽象的な顔にそっくりの人間がこの世に存在するはずがない」と言われてしまうかもしれないが、事実なのだから仕方がない。もっとも、わたしの中にある「事実とはなにか」の定義と、他人が思う「事実」の定義が完全に一致しているかどうかなど、誰にもわからないわけだけれど。

写真その2


写真その3

 その時わたしは、木炭のみを使って初めての自画像(「写真その2」)制作に懸命にいそしんでいた。新しくやってきた受講生の男はそのすぐ隣の席へ腰掛けると、にこにこしながらいかにも快活そうに「こんにちは、どうぞよろしく」とこちらへ向かって挨拶をしてきた。まるで仏様のような満面の笑みだったので、普段なら初対面の人間に対してつっけんどんに接することの多いわたしも、さすがに丁寧に挨拶を返さざるを得なかった。すると男は、わたしの自画像をじっと見ながら「この顔、目玉は両目とも絶対に入れない方がいいですよ、絶対に」となれなれしく言って、制作途中らしき自分自身の絵を鞄からおもむろに取り出すのであった。そしてさっそく、自分の作業を開始しだしたのである(ちなみに、その時に彼が描いていた木炭画の完成版というのが「写真その3」の作品である)。何かひと言くらいは言い返さねばと思い、「その絵のタイトルは何というのか」と少々不躾気味に尋ねてみたところ、彼は顔をほんのり染めながら、少し照れくさそうにこう教えてくれた――「わりと長い題でしてね、『抵抗のしぐさはかくあるべし』っていいます」

 その日の授業もいつものごとく、つつがなく終わった。早々に独り立ち去っていく新入り受講生の背中をちらりと見ながら、講師に「あの人、お名前は?」と興味本位で尋ねてみると、「本名は誰にも教えないでくれって、そう固く言われていましてね――何やらニックネームがおありだそうでして、皆さんにはぜひそっちで呼んでもらいたいんだそうです」とのことであった。そのニックネームが「テロさん」だと聞くやいなや、あの仏のような笑顔とのあまりのミスマッチぶりに、わたしは思わず顔をしかめてしまった。

 テロリズムをすぐに想起させるようなこの奇妙なニックネームの由来について、講師が直接「テロさん」に尋ねてみたことが一度あったらしいのだが、彼からはひどく遠回しの回答が返ってくるばかりだったらしい。ただ、その返答内容から察するに、おそらく彼のご家族は、すでに全員亡くなってしまっているのではあるまいか、というのが講師の個人的な推測であった。もしも本当にそうだとしたなら、彼のあの底抜けの笑顔は、一体どこから生じていたのだろうか――彼とは今のところ、この最初の出会いを含め、まだたった四度の出会いしかなく、おまけに、最後に会ってからもうかなり久しくなってしまっているせいもあり、その全体的な容姿の記憶(たとえば、髪型や服装や立ち居振る舞いなど)も、今となってはけっこうぼやけかけてきているわけだが、その一方で、あの笑顔がいつも醸し出していた激しい柔和さ(矛盾した表現であることは百も承知の上なのだが、ほかにどうにも言いようがないのだ)だけは、今なお心に焼きついたままなのである。

 次に教室で「テロさん」と会った時、ようやくまともに彼と会話を交わすことができた。彼はわたしよりも少し年上のようで、今まで絵の方は誰からもきちんと学んだことがなく、ずっと独学で好き勝手に描いてばかりきた、自称「日曜画家」らしかった。好奇心に駆られて「では、普段のご職業は?」と尋ねてみると、ちょっとはにかみながら「無職です」と答えてくれた。いつから無職なのかとさらに尋ねてみると、「働いた経験は生まれてこのかた一度もありません」とだけ言って、今度はとても無邪気そうににこにこと笑った。どうやら独り暮らしのようだったが、どうやって生計を立てているものやら、全く見当がつかない。とはいえ、それ以上詮索するのもどうかと思い、そこでこの話はあえて終わりにした。以来、この件はいまだに謎のままである。

写真その4

 とはいえ、その時の彼とのおしゃべりは、実はこれだけに留まらなかった。「テロさん」の語り口はいつもどこか独特で、いきなりひどく抽象的になったかと思うと、因果関係が急によくわからなくなったりすることがままあり、聞いているこちらが内心うろたえてしまうことも決して少なくなかったのだが、この時からしてまさにそうであった――その日、わたしはたまたま頭蓋骨の模型を机上にひとつ置き、鉛筆一本でそれをこつこつと模写していたのだが(「写真その4」)、またもわたしのすぐ隣に座ってきた「テロさん」は、足を組みながら笑顔を絶やすことなく、こう話しかけてきた。

 「その絵、もしもタイトルを付けるとしたらどうします?」
 「さあどうでしょう、ただの練習用デッサンですから、題をわざわざつけるほどのものでは・・・」
 「わたしなら、そうだなあ、例えば『僕はここにいる、そしてここにはいない』とか」
 「そんな絵ですかねえ、これ」
 「わたしがいま描いているこの絵と、テイストがとてもよく似ていますね」

写真その5

 そう言いながら「テロさん」が見せてくれた彼の描きかけの絵(「写真その5」)は、わたしの髑髏の絵とはどこから見てもまったく類似点などなさそうなものであった。

 「そんなに似ていますかねえ――ところで『テロさん』のその作品、いったい何の絵なんですか。海中の世界ですか」
 「仮のタイトルは――これまたちょっと長いのですが――『静かに深く広く永く怒り続ける能力』といいます。方向性がわりと似ているでしょ、あなたのと」

 こちらがなおも首をひねったままでいると、「テロさん」はちょっと頭をかきながら、さらにおかしなことを口にしはじめた。

 「実を言いますとね、わたしが絵を描くことを絶対に許さないと言っている人たちがけっこうあちこちにおりましてね。その人たちから今、立ち退きを命じられているんです」
 「立ち退き?そんな無礼な。その人たち、いったい何者なんです?どうしてそんなことをやれる権利があるんですか?『テロさん』の絵のどこがそんなに気に入らないんですか?わけがわからない」

 「テロさん」のごとき無名の人間が趣味のためだけに好き勝手に描いているような代物なんかに、そんな暴漢たちをわざわざ惹きつけてしまうような特別な要素など、別にひとつもありはしないだろうに――心の奥底でそう呟きながら、頭蓋骨の模写に再び戻ろうとしていると、「テロさん」はどうやらまだ話し足りないらしく、こう付け加えてきた。

 「わたしが自分自身に反して生きているから、というのが、その主たる理由のようなのです」
 「は?それ、一体どういう意味です?」
 「消費されることに抵抗し続けているわたしのことが、どうやら気に食わないようなんです。あの人たちはみんな、同じ言葉ばかり何度も唱えるよう強制されながら長らく生きてきてしまっているので、もはや兵士同然になっているんです」
 「かなり物騒な人たちのようですねえ。警察にはもう連絡なさいましたか?」

 わたしの声がまるでまったく聞こえていないかのごとく、「テロさん」の話はなおも同じ調子で続いた。

 「しかし、彼らのような人たちのことも、ちゃんと受け入れてあげられるように早くならなければ――あの方々には全員、今日ここに来る前に、我が家にそろってあがって頂きました。今頃は、わたしが帰宅するのを今か今かと首を長くしながら、ずっと家の中で待っていらっしゃるはずです。彼らこそがわが家の真の主人であり、わたしの方がむしろ客――そこまで心の底から思えるくらいにならなければいけないのですが、これがなかなか難しくて」

 こんな奇妙な身の上話をいたって淡々と続けていたあの時の「テロさん」のことを、どうして「ただの気味の悪い男」という具合に思い出さないのか、今もって不思議といえば不思議である。とにかくそこまで言ったかと思うと、彼は鞄からスケッチ帳を新たにひとつ、とても大事そうに取り出して見せてくれた。開いたそのページには、いろいろな生き物がとてもリアルに模写されていた。毒々しい背中の模様をこれでもかと言わんばかりにこちらへ晒しているスズメバチ。獰猛そうに大きく口を開け、鋭い歯を見せびらかしている醜い顔のカメ。見たこともないような異様な形をした巨大なアリ。その隣には、グロテスク極まりないダニの全身のクローズアップ。そのまた隣には、いかにも飢えていそうなドブネズミの横顔。しまいには、腹が奇怪に膨らんでいる極彩色のクモの姿までもが描かれていた。そしてそのページの中心には、それら生物たちにぐるりと取り巻かれるようにして、「行政代執行」という小さな五文字が端正な楷書体で綴られていた。

 「立ち退きって、まさか空港とか高速道路とか軍事基地とかの建設の邪魔になっているから、ですかね?そんな話、どれもこの街とはまったく無縁のはずですけれど」

 軽い調子でわたしがそう言うと、「テロさん」はほんの一瞬、笑顔を潜めて「無縁ですかねえ、本当に」と小さな声で呟いた。そしていきなり話題を変えた。続いての話は、こちらをなおいっそうどぎまぎさせるような、ある「提案」であった。

 「髙野さん、もしもよろしければ、わたしと一緒に共同で絵を描いてみませんか?」
 「は?共同で絵を?どういうことでしょう?そんなこと、急に言われましても」

 「テロさん」の口調が途端に早口になった。

 「いいですか、よく聞いて下さい――まずはわたしが、全く同じサイズの小さなキャンバス三枚に、それぞれ別々の絵を描いてまいります。といっても、三枚の絵の背景はどれも全く同じにします。異なっておりますのは、その背景の上に描かれるそれぞれのモチーフのみです。その三枚をぴたっとくっつけながら、左から右へ向かって横にずらりと並べてみますと、それぞれの一部――たとえば、絵の中のどこか一本の線分――が微妙につながっているかのような感じで三枚描いてまいります。今度お会いする時に、その三枚を一挙にお見せいたしますね。そうしましたら、その三枚の最後の絵――つまり、横にずらっと並べた時に、向かってもっとも右手にある絵です――に何らかの形でつながるようにしながら、今度はあなたが異なる絵を三枚、全く同じサイズのキャンバス三枚を使って、今お伝えした規則にきちんとのっとりながら、自由に描いてくるわけです」

 「テロさん」の口調はだんだんと熱を帯びはじめた。

 「よろしいですか――あなたが描く三枚も、今度わたしが描いてくる三枚と全く同じ背景を使っていないといけません。ただし、その上に描かれるモチーフにつきましては、三枚とも必ず異なるように描いてみて下さい。もちろん、あなたの描く三枚の絵も、横にくっつけて左から右へずらりと並べてみると、それなりにどこかでつながっているように見えなければいけません。その三枚をあなたから見せてもらったら、今度はわたしがあなたの三枚目の絵(つまり、いちばん右手にある絵です)にうまくつながる形で、別のモチーフの絵を新たに三枚、再び全く同じ背景を使いつつ、どうにかして描いてまいります。あとはただ、その繰り返しです。どうです、ちょっと面白そうでしょ。全く同じサイズのキャンバスに描かれた作品たちを、二人の力で一体どこまで右へ右へと伸ばしていけるのか――同じ背景がひたすら繰り返されていく中で、どれだけ異なる奇抜な発想を互いに量産し続けていけるのか――どうです、考えただけでわくわくしてきやしませんか」

 「テロさん」とのこの会話があったその晩、わたしは以下のごとき夢を見た。間違いなく「テロさん」のせいで、こんな夢を見たのであろう。できうることなら夢分析の専門家に詳しく分析をお願いしたいと思うくらい、なんとも後味の悪い内容であった。ここにあえて紹介させてもらうことにするので、どうかお許し願いたい。

 狭い部屋の一室で、わたしが独り、クッキーを焼く準備をしている。バターをボウルに入れ、泡だて器でクリーム状になるまで静かに練っている。それに砂糖を入れ、薄力粉やアーモンドパウダーやココアを入れる準備にとりかかったところで、玄関のチャイムが鳴る。窓から見ると、まったく同じ服をきた大勢の群衆が玄関の前にずらりと並んでいる。そのうちのひとりが、大きなプラカードを一枚、空へ向かって高く掲げている。そこには頭蓋骨の絵がとても写実的に描かれてあり、その髑髏の上にはこう大書されている――「もしもおれたちが人間ならば、おまえは人間ではない――もしもおまえが人間ならば、おれたちは人間ではない」――わたしをここから立ち退かせようというつもりなのだろうか。ドアを絶対に開けないことに決めると、わたしはふたたびクッキー作りへと戻る。生地をよく混ぜ、程よきところで両手を使って細かく等分していき、ひとつひとつを美しい涙の形に仕上げていく。それにしても、どうして立ち退かねばならないのだろうか――オーブンの中に涙の生地を丹念に並べながら、わたしはじっと考える。窓の向こうから、弾劾の声がうっすらと聞こえてくる――「小さな言葉よ、大きな言葉に今すぐ従え」「母語を捨てよ、これからはこちらの言語を使うのだ」「統一言語を尊重せよ」「言葉の訛りは心の訛り」――玄関のドアを激しくノックしはじめる拳、拳、拳。ふと気づくと、テーブルにはわたしの親族が全員勢ぞろいしていて、焼きあがったばかりのわたしのクッキーを、いかにもまずそうな顔つきで食べている。「これ、作り方を間違えたのでは?」「もうこれ以上はとても無理」「形もひどく不揃いで、どこから見ても涙じゃない」――そう言いながら、一人また一人、彼らが席を立って部屋から出ていく。手つかずのまま大量に残ってしまった涙の形のクッキーを、全て手元に集めなおすと、わたしは玄関へ向かってしずしずと歩みだす。そうだ、彼らに食べてもらえばいいのだ、一人に対して一枚ずつ・・・

写真その6

 それから数週間ほどして、絵画教室で「テロさん」と久しぶりに再会した。待っていましたとばかりにわたしの横へどっかと座りこむと、彼は小さなキャンバスに描かれた三枚の絵をいかにも嬉しそうにわたしに見せてくれた(「写真その6」)。どれもわけのわからない作品としか言いようのない内容ばかりであったが、それらをしばしじっと眺めているうちに、「わたしもこんな風にぜひ描いてみたい」という予想外な欲望がふいに胸の内に湧いてきた。

 「いいですか、あらためての確認ですが、いちばん左が一枚目で、いちばん右側が三枚目になります――ちなみに、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、この一枚目の絵の人物らしきものが左手に持っておりますのは、実は鍵なんです――まあ、それはともかくとしまして、いちばん右の三枚目の絵になんとかうまくつながるような感じで、今度は四枚目から六枚目までを、どうかよろしくお願いいたします」

 そう告げる彼の手から、全く同じサイズの新品のキャンバス三枚分を渡されるやいなや(どうやらわたしのために、事前に自腹で用意してくれていたらしい)、共同制作の誘いを受けたあの日の夜に見た例の後味の悪い夢の話を、なぜだか無性に彼に聞いてもらいたくなってしまった。

 わたしが夢の話を全てし終えると、「テロさん」は「実はわたしもあの日の晩、とても変な夢を見ましたよ」と言って、その夢の中身をとても楽しそうに語りはじめた。

 「両手に絵筆を握りしめたわたしが、大きなキャンバスの前に独りじっと佇んで、キノコ雲を一体どう描いたものかと、悪戦苦闘し続けているわけです。ええ、例のあのキノコ雲です。すると誰かが、どこからか英語でいきなり、わたしに向かって『それは本当にmushroom cloudなのか?』と尋ねてくるのです。英語がよく聞き取れなかったので、わたしが『は?mush of looming crowd?それって一体どういう意味です?』と大声で問い返しますと、遠くの相手はまたもや英語で、『絵なんか描いていてはダメだ、いいか、絵ではなくて、人間そのものを描くのだ』と叫び返してきます。その声を無視してわたしは再び作品制作へと没頭していくわけですが、キノコ雲の絵はなかなかうまく描けません。ちょっと描いては消し、また少し描いては深く悩み、そんな一進一退の調子でずっと描き続けておりますと、部屋の片隅に置いていた無人の正方形の食卓のちょうど真ん中あたりから、本物の巨大なキノコが一本、にょきにょきと生えてくるではありませんか。そういえばその昔、この食卓でわたしは誰かと毎日食事を共にしていたはずなのだ――それは一体、誰とだったのだろう――と、ぼんやり考えを巡らせておりますと、食卓とセットになっている無人の椅子たちが一斉に囁きはじめるのです――『キノコ雲の下で死ぬことのないわたしたちは、そんなにも価値の低い人間でありましょうか?』『死ねばみんな同じなのですから、どこで死のうが、あなたの辛さもわたしの辛さも、みんな違ってみんないいはずではありませんか?』――すると今度は、正方形の食卓の平面上に、キノコを共通の中心とする黒い同心円がいくつもいくつも浮かびあがってくるのです(それと同時に、食卓の全体が、四本の脚の先の方からみるみる朽ちはじめていくのです)。同心円の群れはどんどん広がっていって、やがて卓上をはみ出しますと、キャンバスのそばに立っているわたしの方へと次第に近づいてまいります。気味が悪くなったわたしは、制作途中の絵をキャンバスごと床に打ち倒すと、スケッチ帳だけを抱えて、部屋から脱兎のごとく飛び出していきます。遠く後方から、逃げるわたしの背中を追うかのごとく、あの英語の声がまたも響いてまいります――『いいか、絵の中でしか生きられぬ人間もいるのだぞ、絵の中でしか知られぬいのちもあるのだぞ』――必死に走りながら、わたしは呪文のごとき英単語の羅列をもごもごと唱えはじめます――mushroom, lush womb, mad room, hush doom――実を言いますと、その夢から覚めてすぐ、目覚めたその瞬間の純粋な想いを木炭で一気にスケッチしてみたんです。これがそのスケッチでして」

写真その7

 そう言って「テロさん」が見せてくれたのが「写真その7」の作品である。「絶対に見えないはずのものが、なんだか見えそうに思われてくる、そんなぎりぎりのところにまで必死で迫ってみる――というのが、おそらくは究極の理想形なのでしょうが、まさに言うは易く行うは難し、なんですよねえ」と呟きながら、いつもの照れ笑いをまたもや浮かべていた彼のその時の表情が、まだなんとなく記憶に残っている。

 この日の彼のおしゃべりにもなお続きがあった。作品制作のためのせっかくの貴重な授業時間を、そんなおしゃべりにばかり浪費するのはいかがなものかと思いつつ、こちらはひたすら黙って彼につきあっていたわけだが、そんなわたしの本音などまるっきり意に介することなく、「テロさん」の話題は次から次へと二転三転していった。こうしてとうとう、彼の自宅に先日いきなり押しかけてきたという「客たち」の話の続きがまたもや始まってしまったのである。だが、今回の「客たち」は、どうやら前回の「客たち」とはまったく種類の異なる連中らしかった。

 「さきほどお見せしたあのスケッチをちょうど描き終えた頃だったと思うのですが、わたしが独りきりで家におりますと、大勢の人たちが大挙して押し寄せてくる足音らしきものが外から聞こえてきましてね。なんだろうと思って玄関から出てみますと、彼らは一斉に歩みを止めて、みんな黙って立ったまま、わたしの方をじっと見つめ返してくるのです。自らの声の所有権をまるで全て失ってしまったかのような、そんな目をした人たちばかりでした。声はなくとも、彼らの衰弱している顔をざっと見回しただけで、『助けてくれ』と訴えていることはすぐにわかりました。『ここにかくまってくれ』『多数派に土地を奪われたのだ』――そう叫んでいるかのような顔つきばかりでした。ふと自分の家の白壁に目をやりますと、いつの間にか、壁のいたるところにおびただしい数の名前らしきものが書かれてありました。絵筆のようなもので慌ただしく書かれたものもあれば、木炭のようなもので丹念に書かれたものもありました。アルファベットや漢字もありましたが、全くなじみのない文字もたくさんありました。自分の家がまるで何かの記念碑に生まれ変わったかのようにさえ思えるほどでした。すると彼らのひとりが突然、大きなプラカードをわたしの方に向けてきました。そこには英語でこう書いてありました――『決してあなたが悪いわけではないのだが、あなたもやはり彼らの後継者のひとりなのだ』『だからあなたにも責任の一端があるのだ』――このまま家に入ってドアを閉め、鍵をかけてしまおうかとも思いましたが、わたしの何かがそれを許しませんでした。何か一言でもいいから彼らにいますぐ応えなければならない――応えないままでいれば、いつまでたっても、わたし自身が自由になれない――そう言っている自分が心の中におりました。わたしの口から蚊の鳴くような小さな声が出てきました。『さあ、中にお入りなさい』『これからはともに苦しんでいきましょう』――すると、誰もいないはずの家の中から、別の囁きが聞こえてきました――『こんな連中をいったん家に入れてしまったら、奴らの言葉がいずれおまえをここから追い出してしまうことになるぞ』『もしもそうなったら、おまえは私たちさえ見失い、普通の人間の気持ちさえなくしてしまうことになるのだぞ』――この囁きを少しでもなだめるべく、わたしは無人の家の中へ向かってこう囁き返しました――『壊れていくことでしか新しい命はもはや得られないのでは?』『様々な言葉たちの狭間に落ちていくことこそが、本当の理想的な暮らしなのでは?』――そうこうするうちに、外で佇んでいた人々の群れがひとりずつ、わたしの家の中へ音もなく入り込みはじめました。とたんに、それまで自然だったはずの室内の空気があっという間に不自然なものへと変わりはじめました。家の中は、互いに交じり合うことなど今後一切なさそうな不幸たちの大混乱状態へと、みるみるうちに変貌していったのです。しかしその一方で、彼らの顔のひとつひとつには、これまで見たこともないようなまばゆいばかりの美しさがじんわりと備わっておりました。あの美しさをなんとか自分だけの力でうまく描き出せないものかと思いながら、今日も彼ら全員を我が家に残して、こうしてここにまた独りで出向いてきた、というわけなのです」

 「テロさん」の声は話が進むにつれてますます大きくなっていき、しまいには教室中に響き渡るまでになった。それはもはや「話す」というよりも、「うたう」と形容した方がむしろ的確であるかのごときしゃべり方にさえ思われた。途中で口を挟んでみようかとも思ったが、彼の口調にはそうはさせない妙な熱気がこもっていて、結局は最後まで無言で聞くばかりとなった。男性講師はおろか、その日の受講生全員が各々の制作作業の手をわざわざ止めて、苦虫を噛み潰したような顔をしながらこちらを黙って見ていたことをいまだになんとなく覚えている。とはいえ、嘘や誇張で塗り固めたかのような彼の馬鹿げたこの「同居生活」話をむやみにせき止めたりすることなく、とにかくじっと耳を傾け続けたそのおかげで、彼の描いた最初の三枚組のキャンバスにしっかりと対抗できるような「次の三枚」を描いてみたいという衝動が、わたしの中でよりいっそう高まってくれたようにも思うのである。

写真その8

 それから少しして、また教室に顔を出してみると、その日は「テロさん」はたまたま休みであった。彼の代わりにわたしの隣へ座ってきたのは、小学校高学年か、または中学生くらいらしき姿の少年であった。夜の「趣味」クラスにこんな子が混じっていようとは、これまで迂闊にもまったく気づいていなかった。当然、その子と話を交わすのはその日が初めてであった。少年がそこで描いていたのは、何やら童話の一場面のようであった(「写真その8」)。真剣な表情をまったく崩すことなく、幾種類かのクレヨンをいかにも巧みそうに黙々と動かしているので、こちらもしばし黙ったまま、「テロさん」に見せる「次の三枚」を一体どう描いたものかとあれこれ思案に暮れていたわけだが、ふと見ると、少年が手を休めてこちらをちらちら見たりしている。そこでようやく会話が始まった。

 「仏様と鬼の絵なのかな、それ」
 「そのつもりなんですけど、『テロさん』がこの絵を見て、このまえ変なこと言ったんです」
 「『テロさん』としゃべったことあるの?あの人、なんて言ったの?」
 「『人の心の中みたいな絵だ』って言ってました。別にそんな絵じゃないんですけど」
 「『テロさん』とは教室の中でよく話したりするの?」
 「時々、ほんのちょっとだけです。髙野さんは『テロさん』とよくここでしゃべってるみたいだけど、あの人のこと、よく知ってるんですか?」
 「いやあ、たいして知ってるわけでもないけど・・・」
 「あの人、こんな田舎町の絵画教室に来てはいるけど、本当は世界的な画家だって、本当ですか?」
 「世界的?それ、どういう意味?」
 「この前『テロさん』が自分で言ってたんですけど、あの人、実はかなり心を病んでいて、だけどその重い病気のおかげで、これまでたくさんすごい絵をばんばん描いてこれたんだそうです。描いた絵のほとんどが世界中でものすごい金額で売れてくれたおかげで、今はけっこうなお金持ちなんだそうです。『日本のゴッホ』って呼ばれたこともあったし、むかし税関というところで働いてたことがあるせいで、『現代のルソー』っていまだによく呼ばれたりもするんだそうです。そう自分で言ってました。ゴッホのことは、もちろん僕だって知ってますけど、ルソーって一体、どんな画家なんですか?ていうか、『テロさん』の話って、どうせ全部ウソなんでしょ?『最近はキノコの絵ばかり描いていて、描けば描くほど、キノコがなんだか自画像みたいに見えてくるんだ』とかなんとか、言ったりもしてましたけど――」

写真その9


写真その10

 よくも子供に向かってそんな馬鹿な嘘が堂々とつけたものだ――「狂ってもいないくせに狂ったふりをして巨匠ぶる偽芸術家」というイメージが、ふと頭をよぎった。「テロさん」がこれまでわたしにしてくれた話にしたところで、考えてみれば、どうせすべて嘘に決まっているのだ(なのに一体どうして、彼が話していたまさにその最中には、そう思わなかったのだろうか?)――絵画教室の「趣味」クラスなんかに通っているような単なる「下手の横好き」の年寄りが実は「世界的巨匠」だなんて、小学生だって真に受けるはずがないではないか。思わず失笑を漏らしていると、少年が自分のバッグの中から小さめの別作品を二つ取り出して、こちらに気前よく見せてくれた。どちらも「テロさん」が以前くれたものだという。ひとつはクレヨン画で、魚のような生物が二体、緑の海の中を泳いでいる(「写真その9」)。もうひとつはアクリル画で、記号のようなものが空中をたくさん舞っているそのちょうど真ん中に、人の顔らしきものが三つ、互いにくっつきあった格好でくるくる回るかのように鎮座している(「写真その10」)。前者の裏側には「原始の時代」、後者の裏側には「原子の時代」とペンで走り書きがされていて、それらタイトルのすぐ下には、折り目正しいアルファベットでどちらにも同じように「CLASSIFIED DOCUMENT」と書かれてあった。「この二つも、やっぱりすごい値段で売れたりするのかなあ」――笑いながらそう言うと、少年はまた自分の絵の制作へと戻っていった。「テロさん」も子供の頃は、こんな少年だったのかもしれない――わたしの中で、そんな考えが急に浮かんだかと思うと、またすぐに消えていった。

写真その11

 数日後、「テロさん」と再び授業で出会うやいなや、わたしは自分の描いた「三枚の続き絵」を彼におずおずと見せてみた(「写真その11」)。彼から言われたとおり、背景は彼の描いた三枚の絵と完全に統一させ、その上のイメージだけを自分なりに三通り気ままに拵えてみたわけだが、われながらどうしてこんな絵を描いてしまったのか、とても他人にはうまく説明できそうになかった(とはいえ、あとでよくよく考えてみると、二枚目の絵には自分の名前の英語表記「GORO TAKANO」の一字一字がデフォルメされているようにも見えるし、いちばん右側の三枚目の絵には、数年前に死去したわたしの祖母の死に際の顔写真さえもがなぜかコラージュされているのだった――そんな写真を貼りつけた覚えなど、すでにどこかへ消えてしまっていたのは、それだけその絵の制作に心底没頭していたという証拠なのかもしれない)。それでも「テロさん」は「いいですねえ、なかなかいいですよ」と何度も言ってくれた。「おまえは本当にちゃんと歌えているのか――おまえは見る者の心を本当にちゃんと聴けているのか――三枚とも、ご自身に対するあなたのそんな生々しい感情を、十二分に感じさせてくれていますねえ」とも褒めてくれた(どうしてそんな感想が立て板に水のごとく出てくるのか、わたしには正直よく理解できなかったけれど)。そして、「それではこの三枚は、家に持って帰らせてもらうことにしますね――この三枚目にうまくつながるよう、わたしもまた頑張ってみますから」と言うと、わたしの三枚の絵を自分の荷物の横に慎重に立てかけたのだった。

 その日の授業中のおしゃべりにおいても、「テロさん」は自分の「同居生活」話のさらなる続きをなおもしたがっている様子であった。「次はいったい、どんな集団がお宅を訪ねてきたんです?」と、今度はこちらからあえて水を向けてみると、彼はまたもやあの満面の笑顔で、「今度もまたひどく大勢来ましたよ――次に来たのは、困っている人を助けてあげないと逆に自分自身が困ってしまうという、まことに困った人たちでして」と、まるで台本を棒読みする俳優のごとくすらすらと話しはじめた。これ以上はもうまともに付き合ってなどいられない――そう思いつつも、疲労感を何とか隠してとりあえず調子を合わせ続けていると、「テロさん」は急にからからと高笑いをしはじめた。

 「なにがそんなにおかしいんです?」
 「だって考えてもみてくださいよ――たいして広い家でもないのに、その人たちもやっぱり全員、一人残らず迎え入れてしまったわけですからね――『人々の安全のために、ともに敵と闘おう』とか、『危険に晒されている人たちを救ってこそ、人は人たりうるのだ』とか、空元気の世迷い言ばかり言い続けているような、まことにお人よしの人たちでして――彼らの口癖といったら、『あなたの不幸の状況を教えてください』とか、『あなたの不幸は他の人たちの今後の参考にもなるんです』とか、『あなたはまだちゃんと自分の不幸に向き合っていないようです』とか、『あなたの不幸を解決してあげることこそが、わたし自身の幸福なのです』とか、そんな常套句ばかりなのですから――こんな厄介な人たちまで、ああしてわざわざ歓迎してしまうだなんて、我ながら正直、本当にバカな奴だとわかってはいるつもりなんですが――おかげでいまや、我が家は隅から隅まで、まさに他人だらけなんですよ――たくさんの他人たちが、まるで幾つもの同心円を描くかのように、ドブネズミよろしくわたしの周りをぐるぐる、ぐるぐると取り囲んで回っておるわけです――おまけにけっこう古い家ですから、毒アリだの毒バチだの毒グモだの凶暴ガメだのダニたちまでもが、あちこちに潜んでおったりする始末でしてね」
 「まさかその人たち全員と、これからもずっと一緒にお暮しになるつもりじゃないでしょうね?いつかはもちろん、全員にお引き取り願うわけでしょ?それに、あの例の立ち退きの話、あれは結局どうなったんです?」

 半ば冗談めかしつつ、薄笑いを浮かべながらそう言い返してみたわけだが、わたしのこの問いかけを聞くやいなや、「テロさん」の顔から急にあの独特の笑みがすっかり消えてしまった。それと同時に、ひどく哀しそうなその両目が、わたしの顔をいきなり凝視しはじめたのだった。

 「人生のすべてがその一点のみに凝縮される、そんな場所をあなたはどうやらまだお持ちではないらしい。いかなる未来もいかなる結論も決して不用意に言葉にすることなどできない、ただそこに無心で座り込んで佇むより他にない、そんな大切な場所をあなたはまだ見つけてはいらっしゃらないらしい」

 今から思うと、ひどく無礼なことを言われたようにも思えるのだが、その時はなぜかまったく腹など立たなかった。そしてこれを最後に、「テロさん」とは今に至るまでずっと会っていないままなのである。絵画教室にはもう姿を見せなくなったようなのだ。

写真その12

 つい最近、教室にまた顔を出してみると、講師が手提げ袋を片手にすぐさまこちらへ近づいてきて、「『テロさん』から髙野さんにこれを渡すよう、頼まれてまして」と言う。さっそく袋の中を覗いてみると、見覚えのある例のサイズのキャンバスが三枚入っていた。即座に、「テロさん」が描いた次なる三枚の続き絵であることがわかった(「写真その12」)。以前とまったく同様の背景の上に、またもや奇妙なイメージが乱立している。たしかに技術的には、まだまだ生半可なわたしのレベルとそれほど変わらぬ、ただの「趣味」レベルとしかとても呼べそうにない作品ばかりだったが――いちばん左の絵の真ん中あたりで、一本の横棒に吊り下げられているのは、それぞれ人間の耳と鼻であろうか。こちらに背を向けながらそれを見つめている人々は、いったい何を求めているのだろうか。そして、地の果てに佇んでいるあの巨大な一羽の鳥は、いったい何の象徴なのだろうか・・・二番目の絵のこの少女は、なぜ片目だけにガラス玉を入れているのか。なぜ首から下を失っているのに、そんなにも笑顔なのか。その下で独り踊っているらしき首なしの胴体は、もともとはこの少女のものだったのだろうか・・・三番目の絵の中のトカゲたちは、一体何を表しているのか。なぜ脱皮したり、ルービック・キューブの中に潜り込んでみたりしているのか――それほど頭を悩ませて考える価値などない、ただのナンセンスな作品ばかりのはずなのだが、わたしはその日の授業中、この三枚をそれぞれじっと見つめながら、ぼんやり考え事ばかりしていたのだった。

 講師が手渡してくれた手提げ袋の中には、もうひとつ、置き手紙らしきものも入っていた。封筒の表には「髙野さんへ」と書いてある。さっそく便箋を開いてみると、以下のような文言がきれいな楷書体で綴られていた。あまりに謎めいている内容で、わたしにはその真意が今もってよくわからぬままなのだが、全部をまとめて実は一篇の「詩」なのだといったん割り切ってしまえば、それなりに興味をそそられる人がどこかに一人くらいはいるかもしれない。ということで、あえてここにそのまま全文を引用してみることにする。

 ――絵の方が本当のわたし わたしの方が実は比喩

 ――絵がわたしを描き捨ててしまう日が いつかは間違いなくやってくる
 けれど そのための備えは あえて何もしないつもり

 ――「労働」という言葉は 肉体を使う時にのみ使うべき言葉
 精神の動きに対しては 本来 使うべき言葉ではない

 ――「すれちがい」こそが もっとも爽やかな人と人との出会い方 けれど
 「誰とも一生出会わない」というのも それはそれで素晴らしいことなのかも

写真その13

 実はつい先ほど、わたしの次なる続き絵三枚が何とか完成したばかりである(「写真その13」)。「テロさん」にまた教室で会うようなことがあれば、今度はこの三枚をお渡ししてみようかと考えている。どうしてこんな絵になったのか、いちいちここで説明したくはないのだが、それでもあえて少しだけ言うと、いちばん左の絵を描いているときは、「テロさん」のご自宅の現在の様子をあれこれ気ままに妄想ばかりしていた――有象無象の「他人たち」にとうとう家を乗っ取られ、挙句の果てにはとうとう外へと追いやられ、今頃は独り路頭に迷っているのではなかろうか――もしかすると、生きるという「比喩」のためだけに食事を日々取り続けること、それ自体がもはや億劫になってしまい、食べるという「労働」さえをも今ではすっぱり「描き捨て」、自ら進んでがりがりに痩せ細った体へと変貌してしまっているのではなかろうか――他方、二枚目の絵の中には、「テロさん」がご自身の続き絵の中で垣間見せていたセクシャルな部分に対するわたしなりの応答めいたものが、それなりに込められている――また、いちばん右の三枚目の絵においては、「テロさん」が続き絵のいちばん最初の絵の中にぼんやりと描いてみせていたあの「鍵」になんとか対応すべく、どこかからおもちゃの錠前を見つけてきて、絵の右下へちょっとコラージュしてみたりしている。「髙野さん、これだとまるで、鍵の絵で始まってこの鍵穴で続き絵は全て見事に完結、もはや続きはございません、なんてことになってしまうじゃないですか」――「テロさん」は(笑いながら)そんな具合に怒りだすかもしれない――今もなお、自宅の階段横の壁に画鋲で貼ったままになっているあの絵を時おり眺めては、思わずそんな独り言を漏らしたりしている自分がいる。新たに描いたこれら三枚の絵を「テロさん」に見てもらう日がいったいいつ来ることやら、今のところは全く不明のままである。

 最後に――この文中に登場させたすべての作品写真をご覧になった方々の中には、「これらの絵は、実はすべて髙野自身が描いたものなのではないか?」「『テロさん』なんて人物は、本当はどこにもいないのではないか?」「どうして髙野がこれらの絵を全て所有できているのか?」等々、様々な疑問をお持ちになる方がもしかするといるかもしれない。当然のことながら、「テロさん」は実在の人物である。短期間だったとはいえ、彼と二人で続けたこれら十二枚の共同作品のひとつひとつには、わたしの心の一断面、そして彼の心の一断面が、粗さを存分に残したまま、それなりに愚直に翻訳されているように思えてならない。無論、技術的にはいずれもまだまだ拙い絵であることは、我ながらよく承知している(「テロさん」はそう思わないかもしれないが)。とはいえ、左から右へ、十二枚全部を順番通りにずらりと横に並べてあらためて見渡してみると、わたしにはそれらがまるで、星座のようにすら思えてきたりもするのである。


(註)この文章を執筆するにあたり、以下の三冊から多大な着想およびインスピレーションを得た。深き感謝の念とともに、ここに書名を記す。
『エクソフォニー~母語の外へ出る旅』多和田葉子・著、岩波現代文庫、2012年
『石原吉郎~シベリア抑留詩人の生と詩』細見和之・著、中央公論新社、2015年
『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ~ヒロシマを想起する思考』柿木伸之・著、インパクト出版会、2015年