種子島には秋がない、と以前書いたことがある。10月中旬から末までの長期出張から島に戻ってみると、紅葉のない島は、すっかり冬の気配。空気も澄み始め、向かいの屋久島の島影がきれいに見えるようになっている。家では、すっかりあったかい食べ物が恋しい季節になっていた。
先の出張では、2週間近く博多に滞在していた。日曜日はオフだったので、郷里に近いこともあり、母の顔を見に行くことにした。
僕と弟が郷里の島を出てからは、独り暮らしを続けていた母だった。が、寄る年波には勝てず、一昨年末から老人ホームに居を移した。それ以前から、耳も遠く、足腰も弱くなっていた母は、一昨年の夏にお盆に帰省していた僕たち兄弟に訴えた。
「一日中、誰とも話さない暮らしは、もう嫌だ。知り合いが何人か入所している●●老人ホームに入りたい」
いつかは、と覚悟はしていたけれど、さすがに母本人から訴えられると逃げ場がなくなった。母子家庭で、母の働きで育てられた兄弟の不文律として、ほとんど自ら要求することのない母の意向は、できるだけ、いや絶対に叶えなければならないものだった。
それから兄弟二人して、郷里の知り合いやつてを辿り、どうにかして年の瀬を聞く頃に入居できる運びとなった。
<老人ホームに母を入居させる>
入居させる前には、そのイメージはとても冷たい感じがした。でも、実際のところ、帰省しているとき以外は、耳と足腰の弱い母を独りで実家に住まわせている方が、体裁を慮る子供たちのわがままだった。
入居した母は、知り合い達と会話もでき、身の回りを世話してくれる介護士さんのおかげで、独り家にいた頃よりも朗らかになった。また、何かあったときには連絡をもらえる体制ができ、電話をかけても受話器にでないようなときの余計な心配をしなくて済むようになった。
10月の最後の日曜日。それまでの穏やかな秋日和から肌寒くなったその日、僕は日帰りでホームの母に会いに行った。
会ったところで、大した話があるわけじゃあない。けれど、元気な母の顔を見て安心した。この年末には、いつものように孫の顔を見せに帰省することを伝え、手持ち無沙汰な僕は足早にホームを後にした。
その足で、今ではネットで評判になっている島のラーメン屋に立ち寄った。昔から変わらないラーメン、餃子にいなりずしのメニュー(ちなみに、店内の張り紙メニューには「きつねうどん」もあるけど、ラーメンが苦手な母以外が注文したのをみたことがない)。
昼時ということもあって、狭い店内は、数卓のテーブルに数人ずつが席を占め、満席。一人がけのテーブルのお客に声をかけ、相席で座った。
僕が小学生の頃までは、数十メートル離れた場所で営業していた。が、中学生になった頃、今ではすっかり寂れてしまったJRバスセンター(と言うと大げさだけど、切符売り場が併設された待合。今は閉鎖されている)の前に移転した。
当時も、数少ない街の飲食店の一つで、贅沢な場所だった。今では、飲食店は壊滅状態だけれど、そのラーメン屋だけは、地元や帰省客、さらには観光客までが立ち寄るようになり、そこそこ繁盛している。
ラーメンに特長というほどのものはない。シンプルにチャーシューともやし、刻んだ青ネギが麺に載っているだけ。ただスープが、いりこだしベースで、あっさりしているようで濃い。そこになぜか、いなりずしを合わせる。なぜか白飯は置いていない。
作り手も移転して少しの間は、先代のオヤジだったけれど、いつの間にか気づくと実の娘に変っていた。もうすっかり遣り手の若い婆さんだけど。だから味も少しは変わっているのだろうけど、昔と大差を感じたことはない。それよりも、その店で食べることのほうが大切な行事になっている。
いつものように、ラーメンに餃子といなりを注文した。ラーメンを待っている間、少し肌寒い店内で、あの寒い日のラーメンのことを思い出した。
子供の頃、1月に入ると日蓮宗の人たちの行事に、「寒行」というのがあった。一連の信者たちが、夜に行列を成して団扇太鼓を打ち鳴らしながら題目を唱えながら街を周り、菩提寺に戻る行。その声を聞くたびに、一番寒い時季が来たことを感じ入った。
その時季を迎えた中学生のある日、今となっては、理由は覚えていないけど、勤めから帰り、夕飯の支度をしている母と口喧嘩になった。収まりのつかない僕は、勢いで後先を考えず家を飛び出た。
周りはすっかり闇に沈んで真っ暗。途方にくれながらも、金輪際、家になんか戻らないと感情は高ぶっていた。今思えば、母を困らしてやろうという意地悪な考えも潜んでいたような気がする(なんてヤツだ!)。
遠くから寒行の声が近づき、その一行とすれ違った。心許なさは募る一方で、意地だけが反比例して大きくなっていく。にっちもさっちも行かなくなっている自分がいた。
そこから記憶のシーンは、一気に飛ぶ。
次に思い出すのは、移転前のラーメン屋で母と向かいあって座っている光景だ。当時、貧しかった我が家では、外食をするなんてことは皆無に近かった。なのに、見守る母の前で、湯気の立つラーメンをすすっている自分がいた。当たり前のように、母の前には何もない。無口のまま一心にラーメンを平らげた僕は、母と家に戻った。
母は、決して嫌だったことを思い出さない。覚えていないはずがないのに、決まって「もう、忘れた」と言う。
父親になった今、あのときの母のことをふと思い出した。そしたら急に、いつものラーメンが、妙にしょっぱくなっていた。
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