編集人:新井高子Webエッセイ


4月のエッセイ


  • 彼女のそよぎ

北野健治

 フレッシュマンの初々しい姿が、街のあちこちで見受けられる4月。いつも不思議に思うのだけれど、新調したスーツを着ていても、新社会人かどうかがわかるのは、どうしてだろう。
 巷では、紙媒体の凋落が嘆かれて久しい。その一つ、新聞は、僕が社会にデビューした当時は、自分の名前で定期購読するのが、社会人になった証の振る舞いとして当然のような雰囲気が世間にはあった。翻って現在、周りを見渡しても、若い世代での購読はおろか、通読もあまり聞かない。
 島では交通事情もあり、朝刊が届くのは、午前中の船便が着いてからの午後。海が時化ると届かない日もある。そのため情報源のスピードは、ネットに負ける。僕としては、情報の速さよりも深さ、幅の広さから頼りにしている。
 かつて編集者だった癖から、いつも必ず目を通すのが、訃報欄。この頃、折に触れて綴るように、50歳を超えてからその欄に接する感慨は、ひとしお。  
 3月のある日、訃報欄に目を通していると「金子國義」の名前を見つけた。コケティッシュな少女像が特長のイラストレータの名前。名前で作風がピンとくる数少ない作家。またそんな作家が1人、いなくなったことを痛感した。
 そんなことがあった数日後の夜更け。いつものように音楽を聴きながら、自分の時間を過ごしていた。音楽は、吉田美奈子の『EXTREME BEAUTY』(MCAビクター、1995年2月22日リリース)。日本人離れしたファンキーな歌声を聴きながら、あることを思い出した。確か、このアルバムには、一世を風靡したイラストレータ、ペーター佐藤氏(1945‐1994)に捧げた歌が収められているはず。それは、最後の楽曲「星の海」だった。
 粗いタッチのパステルで健康的な人物像を描いた氏の作品は、アメリカ的な風合いもある都会的なセンスで明るく馴染みやすく、一時期いたるところで目にすることができた。
 僕が社会人デビューした会社で最初に担当したのは、大手の生保会社だった。生保の外交員、いわゆる保険のオバチャンたちの販促ツールを提案するのが、企画職に配属された僕の仕事。といっても、生保担当チームの駆け出しの一員だったけれど。
 ある企画会議で、販促ポスターのイラストレータとして、日常のシーンをテーマにした、誰にでも親しみやすい画風のペーター佐藤氏を挙げた。一案としてクライアントに提案された氏のポスター案は採用され、先輩の担当となって、見事にオリジナル作品が日の目を見た。そのときには、もう誰の提案だったかは忘れられていたけれど。
 そんなことを思い出しながら、もう一つ今頃になって気づいたことがあった。


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 今思えば、とても生意気な若造だった。「仕事」の意味もわからずに、スタッフの力に甘えておきながら、自分の力だと錯誤していた。勘違いはしてはいたけれども、クライアントに誠実に対応しようとしていたのも事実。だからか、クライアントの女性担当者たちは、僕よりも年上ばかりで、経験も上にもかかわらず、青二才の僕を専門職として遇してくれた。
 2年目を迎えた3月。4月から新しいセクションに異動することが決まった。そのことを先方に報告した際、ひょんなことから一番接していた担当者と最後に〝反省会〟をすることになった。
 これもまた、なんでそうなったのか思い出せないのだけど、〝反省会〟と称した飲み会の場所は、僕が勤めていた会社のある大阪の下町。大阪ではよく見かける、カウンターの奥に角形おでん鍋が据えられている、どこにでもある居酒屋だった。
 僕の会社の最寄り駅で待ち合わせ、二人でカウンターに座った。いわゆる大手企業の社員の彼女は、こういった場所は初めて、と言った。それも上司以外の男性と二人きりは、とも。
 「私って、顔も性格も地味だから……」と語りだした彼女。淡々と落ち着いた口調で、静かに語り続けた。僕は、ただただ相槌を打ち続けていた。なのに、何を聞いたのか、話したのか、思い出せない。
 会もお開きのとき、彼女が細長いパッケージをカバンから取り出した。お世話になったお礼、と渡してくれる。開けてみると、グレイの〝NICOLE〟のネクタイ。
 「男のひとに、どんなものをプレゼントすればいいのか、わからなかったの。で、デパートの売り場のひとに相談したら、これならクセがなくて、いいんじゃあないですかって」
 お礼を言って、別れた。4月になって異動した。時折、連絡したものの、担当違いから、いつのまにか間遠になる。そして忘れていった。


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 今になって気づいたのは、もっと彼女の声に耳を傾けるべきだった、ということ。きっと大切なことを、勇気を振り絞って、僕に伝えようとしていたのに違いないのに。それは、大仰なことではなく、見落としがちなことだけど、きちんと気づいて心に留めるべきこと。

 種子島の風は、4月に入ると、冬シーズンの荒れ模様から初夏の薫風に変わっていく。新緑をわたる風のそよぎを耳にしながら、今、改めて彼女の言葉に聞き入ろうとしている。

種子島では、3月下旬には田に水が入る。
植えつけられた苗の上を風がさ渡っていく。