基本的に独りで訪れる。自分の金で飲む。これが、僕のバーのスタイルだ。それはまた、このエッセイで登場するバーの常連たちのものでもある。
スタイル――幅広い言葉だ。上述のような行動のことでもあるし、文体を意味することもある。一般には、容姿のことが多いか。その意味で、思い出すひとがいる。
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ハンチング帽にジャンバー姿。それが、今も脳裏に焼き付いている。柔和な笑顔で、人の話をよく聞く。つまらないこと(大概、酒場で起こるもめごとは、日常では他愛のないことがきっかけだけど)で、場が気まずくなりそうになると、やんわりとその場を収めてくれる。大人の身のこなし方。それが、館長だった。
これまで何度も書いてきたように、件のバーは、ビジネス的には何のつながりもない人たちがほとんどの集まりだ。そこでの話題も、利害の絡むことはほとんど皆無で、世間的な経済一般から政治、文化――映画、芝居、プロレス等々、と書くと大仰になるが、そのときどきに個人の興味があるものが、バーのカウンターの俎上に載せられる。
ここがポイントなのだが、載せられた話題で会話が成立するかどうかは、その内容にはほとんど関係ない。どんなに面白そうな内容でも、取るに足らない瑣末な話題でも、持ち出した人物が誰かが重要だった。
こう書くと、かなり閉鎖的な場のように思われるかもしれないが、あにはからんや、一見さんには、まかり間違えば慇懃無礼になりそうなほど寛容だった。それよりも、常連になるにつれて、その人の品性――そう、そこでは肩書は何の効力もない――が、問われるようになっていく。というほど高尚なものでもないか。つまりは、同じ酒飲みとして、気持ちよく飲めるかどうかだけが重要な判断基準だった。
往年の銀座の名画座「並木座」
画像提供:劇場に行こう
例えば、メンバーたちと映画の話で盛り上がる。するとその場に居たハンチング帽の紳士が、的確なコメントと解説を加える。最初の頃は、映画マニアだなぁ、と思っていた。銀座の名画座「並木座」の館長だと知ったのは、しばらく経ってからのことだった。プロフィールを知ったからといって、みんなの対応が変わるわけでもなく、いつもと同じように各々勝手な映画の個人評で盛り上がっていた。
ある年の初夏、常連の一人で、前回のミャーがバイトしているらしい店の店主に、ふとしたきっかけで、土曜の夕方の飲み会に誘われた。銀座から勝鬨橋を渡ってすぐのところにある老舗の立ち飲み屋。かつては木造だったのが改築されて、今はビルの一階に入っている。値段に見合った季節の酒肴が旨い店とのこと。こういう客同士のサプライズも、そのバーの魅力の一つだった。
約束の日。時間どおりに銀座四丁目の三越のライオン前に集合し、乗合バスで出発。開店時間直後に、こざっぱりとした暖簾をくぐって入店し、カウンターに立つ。誘ってくれた店主に、その日お薦めの酒肴の中から、いくつか見つくろってもらう。おもむろに乾杯し、飲み会がスタート。と、入り口の戸が開き、お客さんが……。
「あっ、館長!」
気づいたのは、気配り上手な先の店主だった。
そこからメンバーに合流した館長と一緒に、気づくと今は改装中の東京ステーションホテル内のバー「カトレヤ」、神田の老舗の居酒屋と三軒もはしごしていた。
途中から意識があやしくなった僕が、一旦意識がはっきりしたのは、いつものバーのカウンターだった。隣には、館長だけが、いつも変わらない笑顔で座っていた。しばらくすると、最終上映の時間だからと館長は席を立った。
今思えば、きっと館長がへべれけで危ない僕を安全な場所まで連れて来てくれたのだろう。そんなことは、決して一言も言わない人だった。
しばらくしたある日、バーのマスターが言った。
「この間、館長が誉めてたよ。『あいつは、いい男になる』って」
「へぇー?!」
「ただ、もう少し人を許せるようになったら、っとも言ってたよ」
誉められ馴れてない僕は、照れ隠しのために、すかさず一杯注文し、その話題を終わらせた。
日常がいつまでも続く――そんなことは、あり得ない。分かっているけれど、そのことを容赦なく突きつけられることが、突然来る。
いつものようにカウンターに座ると、マスターがポツリと言う。
「並木座が閉館するって」
「えっ」
次の客が来るまで、沈黙は続いた。
1998年9月22日、銀座「並木座」閉館。
閉館日の最終上映回、運よく入館できればと思い、仕事帰り立ち寄ってみた。が、やはり大勢のファンで無理。せめて気持ちをと、用意した花束を受付の女性に託し、その場を後にした。
タイミングがずれていく、ということがある。それまでは、よくバーでお目にかかっていた館長と、その時期を境に、なぜか同じ時間に席を同じくすることがなくなっていた。
バーのマスターから、近況で館長の次の仕事が決まったという話を聞いていた矢先、その日がまたも突然来た。
珍しく夜行列車を利用して取材出張をすることになっていたその出発日、オフィスで準備をしていると同僚から電話の取り次ぎの声。
「――さんからですよ」
バーのマスターからだった。普段、会社に電話をすることのないマスターからの電話に、胸騒ぎを覚えつつ、受話器を取る。
「館長が亡くなったって。今晩、お通夜だけど出られる?」
秋が終わり、冬が到来した日のように寒い夜だった。目黒のお寺の通夜で会ったバーのメンバーたちと口数少ない会話を交わし、僕はその足で夜行列車に乗った。その夜の車窓から見える闇は、どこまでも深かった。
人は忘れる。悲しいけれど忘れていく。だからこそ、生きていかれるのかもしれない。日常の喧騒に紛れて過ごすうち、館長が他界した悲しみも、いつしか薄らいでいった。ちょうどその頃、郵便受けに一通の封書が入っていた。館長と同じ姓の見覚えのない名前の差出人だった。
封を開けると、一冊の手作りらしい簡便な冊子が入っていた。館長の文章をまとめたもの、との館長のお兄さんの挨拶文が同封してあった。
取るものも取りあえず、その勢いで読み始める。いつの間にか泣いていた。館長の映画への愛――というよりも、映画を通して感じらるその圧倒的な優しさに対して。
今も時にふれ思う。館長の期待に応えられる「男」になっているかどうかと。
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