この国の人たちは、桜が好きである。そういう私もその1人。今回は、桜でも秋の桜にまつわる思い出を一つ。
「秋桜」。コスモスの和名が、こう呼ばれるのは知っていたが、なぜそう呼ばれるのか、このエッセイを機に調べてみた。ところが、である。はっきりとした理由を述べた資料に出合わない。
コスモスの花自体は、「メキシコ原産の一年草で、(中略)いつ日本に伝わったかは明らかではないが、園芸的な改良が進んだのは二〇世紀に入ってからで、各地に広まった。」(『現代いけばな花材事典』、監修=勅使河原宏・大場秀章)とあるように、外来種である。ネットでは、「花のかたちが桜に似ていることから、『秋桜』と呼ばれるようになった」らしいと紹介されている。もし、確かな由来をご存知の方がいらしたら、教えていただきたい。ウィキペディア(Wikipedia)の特徴の項目には、「日当たりと水はけが良ければ、やせた土地でもよく生育する」とある。
その頃、彼女はとてもつらい恋をしていた。彼女は、僕の行きつけのバーの常連の1人で、ナースをしていた。ナースというハードな仕事をしながら、朝まで飲むツワモノ。だけども、どんなに早朝まで飲んでいても、日勤の日には仕事は休まず、きっちりと勤めるという仲間内では評判の女性だった。
そのバーでは、胸のうちをこぼされた話は聞くが、こちらから敢えて味見はしないという暗黙のルールがあった。そのため、僕も彼女がつらい恋をしているらしい、という話は伝え知っていたが、それ以上のことは何も知らなかった。
いつものように独り、仕事の帰りにバーに立ち寄ると、カウンターしかないそのバーの片隅で、彼女が一人で飲んでいた。その後姿は、とても小さくて脆そうだった。ちょっと触れば崩れ落ちそうな、砂でかたちづくったお城のように。
「こんばんは」
常連同士の普段と変わらない挨拶を交わし、僕はいつものように飲み始めた。無理な会話を交わすこともなく、おだやかな時が流れる。自分が決めた一日の量を飲み終えた僕は、席を立とうとした。そのとき、
「コスモスって、好きですか」
唐突に彼女が言った。
「よく野原一面に咲いている風景が紹介されていて、きれいだよね」
「そう。野草なんです。だから、みんな強い花だと思っているけど、摘むとすぐに枯れてしまう。水揚げの悪い、本当は弱い花なんです」
「そうなんだ」
透き通るように白い彼女の横顔を見ながら、僕は腰を下ろし、もう一杯注文した。それから、しばらく他愛のない話をした。
「お先に失礼」
「ごきげんよう」
さっきの一杯を飲み終えた僕は、後から入ってきたお客と入れ替わりに、彼女を残し、バーを後にした。
それからしばらくして、彼女の姿をバーで見なくなった。その後、随分して、彼女が結婚した噂を聞いた。
「健気」という言葉がある。もう死語に近いかも。この時季、コスモスを見るたびに、彼女のことを思い出す。あの晩の彼女の横顔と、そのとき心に浮かんだ言葉とともに。こころない人に摘まれることなく、どこかで咲き続けている、彼女の笑顔を思い描いている。
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