編集人:新井高子書評


グローバル万葉集の“萌芽” ―新井高子編集冊子『留学生詩集2009』書評

 

(新井高子編『留学生詩集2009』、埼玉大学国際交流センター新井研究室発行、2010年)

 

北野健治(批評)


新井高子編集冊子
『留学生詩集2009』

  孵化直後。まず一読して心に浮かんだ言葉がこれだ。
  『留学生詩集2009』は、奥付によると、編者・新井高子による「日本語教育に詩を取り入れるための教授法研究」の一環として作成されたそうだ。
  上記の目的からもわかるように、本書は、市場に出回っているような、いわゆる“詩集”を期待して手にすると、違和感を覚えるかもしれない。装幀は、コピー印刷のホチキス止め。詩の作者も、“詩人”ではない。その日本語能力のレヴェルもさまざまだ。なによりも違うのは、言葉の扱い方だ。
  詩は、極めてナイーヴな言語表現だ。リズム、韻といった身体に根ざした要因が、表現に大きな影響を与える。そのため作者が生まれ育った環境や時代背景が取りざたされやすい。
  本書の特長は、詩の作者たちが、「2009年度後期・埼玉大学教養教育『日本事情C』を受講した留学生」たちであり、「編者あとがき」によれば、その中には「半年から一年、日本に滞在する短期留学生」も含まれている。何より特筆すべきなのは、ほとんどの作者たちは、日本文学を研究するための留学生ではなく、「日本語での詩の執筆は初めて」だった。
  文学を専攻しない者が、母国語でない言語で詩を書く。これは大きな“挑戦”だ。表現的なテクニックや文学的素養を持っていない者が表現する――そのとき現れるのは、表現以前の“想い”ではないか。それは、今、巷間をにぎわせている“つぶやき”にも似ている。
  だが、根本的に違うのは、「つぶやき」は、自己の殻の中にとどまるのに対し、「詩」である限り、その殻を打ち破って、他者へと働きかけようとすることだ。さらに、本書の場合には、異文化や他言語での表現といった殻の厚さも加わっている。
  その殻を打ち破って生まれ出てくるヒナの鳴き声は、生命の喜びや慄きがないまぜになり、打ち震えている。そこには、拙いながらも、他者に何かを伝えたいというメッセージの本質が直截的に表れている。その表現に、改めて母語としている日本語の違った一面も垣間見、新たな表現の可能性を感じる。

  「東京タワー」  エリアナ・ビンティ・コスリ(工学部一年、マレーシア)
東京タワー
限られた―風景
超よい景色

  「父」  コウゴウケイ(理学部一年、中国)
名もない教師である父は、
忠誠、正直で、私に 身を持することを 教える。
容赦、我慢して譲ること、私に 処世の法則を 教える。
大言壮語が 苦手で、かえって 行為で 表現する。
忘れず、父と 一緒に 過ごした 幼時。
忘れず、自転車で 私を 送って 登校する後ろ姿。
忘れず、遅く 帰宅するとき 額上の憂え。
忘れず、私が病気するとき 医者に 頼んで、
薬のため いろいろと 奔走
(後略)

  「感」  権彦男(教養学部三年、韓国)


かるい、かるい
空を飛んでいる、感
彼がいる空間

あかるい、あかるい
光が底まで注ぐ、感
彼がいる空間

わらい、わらい
声がここにどよむ、感
彼がいる空間
(後略) (引用・本書掲載順)

 

  それから例えば、句読点「。」の使い方。作品の中に、「。。」と表現したものがある。「誤字脱字や文法の誤りについては、編者が最低限の修正を加えた」と「編者あとがき」にあるから、これは単なる誤表記ではなく、意図的なものであることがわかる。作者は、このように表現したかった、もとい、表現するしかなかったのだ。

  「赤ちゃん」  李吉勇(工学部四年、中国)
うわあん。。 うわあん。。
光が見える
お父さんが 笑っている
お母さんが 微笑している
何故私は泣いているか
これから苦労しなきゃ

  表現の面でいえば、興味深かったことがもう一つ。いくつかの詩で、平仮名表記と漢字仮名混じり表記が併記されていた。その平仮名表記の詩を読みながら、『万葉集』のことが、ふと思い浮かんだ。

  「春夏秋冬」  安允娜(教養学部四年、韓国)
春揚羽 地面寝たがる 閑か耳 (はるあげは じめんねたがる しずかみみ)
庭渡り 蛇食べる梅 青春の実 (にわわたり へびたべるうめ せいしゅんのみ)
箱は空き 旬の実匂い 秋称え (はこはあき しゅんのみにおい あきたたえ)
冬ごとき 裾から散らす 寒椿 (ふゆごとき すそからちらす かんつばき)

  『万葉集』の成立当時、外国語であった漢字をもとに、万葉仮名で一字ずつ表記された『万葉集』の作品たち。その意味で、本書は留学生たちによる21世紀のグローバル万葉集の“萌芽”ともいってみたい気がする。そんな大きなうねりの一歩を予感させるものが、播種されつつあるのではないか。
  最後に、彼らがいつの日か改めてこの詩集を手にし、笑いながらこの国の未来の社会に関わっている、いける世界が来ることを切に願う。

*埼玉大学教養教育「日本事情C」では、「日本の詩歌」という副題で、主に近代の詩、短歌、俳句を留学生に紹介しました。その学期末にワークショップとして受講生38名に日本語で作品を書いてもらい、小冊子としてまとめたのが『留学生詩集2009』です。ご関心をお持ちの方は、「ミて・プレス」までぜひご一報ください。(新井)