編集人:新井高子書評


野生の日本語―田原詩集『石の記憶』書評

 

(田原『石の記憶』思潮社、2009年)

 

宇佐美孝二(詩人)


田原詩集『石の記憶』

  今年度のH氏賞は、中国人として初めて、留学で日本に来て約20年になる、田原が受賞した。詩集『石の記憶』は、田原が日本語で書いた二冊目の詩集である。
  実は、彼の最初の詩集『そうして岸が誕生した』の頃からH氏賞の予感はしていた(えへん!)。残念ながら、この最初の詩集は、中原中也賞にあと一歩というところまで行きながら受賞を逃してしまった。かといって、田原がそのことで悔しがったという様子はまったく無い。彼は自分のやるべき仕事は別のところにあると信じている様子であった。
  事実、彼のやり遂げた仕事の質はかなりなものである。谷川俊太郎の研究としては、『谷川俊太郎詩選集(全3巻)』(田原・編 集英社文庫)がある。また共著として、『谷川俊太郎《詩》を語る』『谷川俊太郎《詩》を読む』『谷川俊太郎《詩の半世紀》を読む』(澪標)がある。中国の若い詩人たちを日本語に訳した『中国 新世代詩人』(正・続・竹内新と共著 詩学社)のほか、北園克衛など現代詩人を翻訳している。ほかにも、われわれの知らないところで、詩だけではない仕事を彼は精力的にこなしているはずである。
  H氏賞を受賞したことを知って、メールでお祝いの言葉を贈ったところ、当時、北京にいた彼からこんな返事が来た。「今回の出来事はとてもゆかいでした」と。これからもわかるように、田原はシャイな外見とは裏腹に大陸的なおおらかさを隠しもった人間である。

  垂直に落下する梅の香りは梅雨に濡れない
  風にたわむ傘の上で口ごもる雨の滴りは
  シルク・ロードを旅したがっている
  濡れたのは足元から消えた地平線だけ
  山は風のこだまを隠して
  スポンジのように雨水を貪婪に吸い込む
  木の葉は思いっきり雨粒を浴びながら緑を深めていく
  空の奥にくすぶっている太陽はみずからの裸を待ちあぐむ
  かびが密かに月の裏側にはびこっていくうちに
  朽木はキノコの形を構想している     (「梅雨」全篇)

  詩集冒頭のこの詩の斬新さはどうだろう。ここに、田原のすべてとは言わないが、彼の特質が現れている。
  第一に、「日本語との戯れ」である。垂直に落下する「梅」→「梅雨」→「雨の滴り」という、漢字との戯れ。また落下感を表す図式的戯れ。フランスの詩人、フランシス・ポンジュの影響がほかの詩も含めて感じられる。
  第二に、壮大な移動感覚。「シルク・ロード」→「地平線」→「山」→「空」→「太陽」→「月」・・・
  そして逆に、対比的に小さな存在を浮かび上がらせる、「梅」→「雨」→「木の葉」→「雨粒」→「窓」→「かび」→「朽木」等。
  第三に、大陸的な叙情感だろうか。3000年の歴史を持つ中国の詩を背景にした骨格のなかに、異国での不安感と故郷への郷愁が奇妙な形で、だが大胆に挿入されているように思われる。
  全体に、「わたし」は背景に後退し、点景となって滲んでいることも指摘しなければならない。「わたし」の姿が前面にでてくるのは、作品「内田宗仁に捧げる挽歌」と「二階の娘」くらいだろう。日本の詩人たちの詩が、「わたくし性」から逃れられないのとは反対に、田原の詩は大陸的おおらかさで物語を包んでしまう。

  たまに口を大きく開け海は
  白い飛沫をあげて世間を罵り
  怯える鴨は暗闇のなかに姿を消す
  老木は倒れ 家々の屋根は飛ばされ
  そして 虹の傘を広げ

  地球に巻きつく水平線は海の髪
  島は鼻 波は舌 暗礁は牙
  でも 誰にも描くことはできない
  あなたと私を見つめる海の顔全体は    (「海の顔」後半部)

  はっきり言ってしまえば、田原の詩は日本語としては完成されていない。だが完璧に傾くあまり、詩としてのダイナミックさを失ってしまう日本の詩に対して、田原のそれは荒々しさを秘めた野生の未熟さだろう。
  ここでは、言葉へのおののき、謙虚さと大胆さは、未熟さと同位置である。日本の詩人たちの、同じ流れを流れている水道管はもう錆付きボロボロと壊れてきそうだ。そこに日本の詩の弱点があり、田原の登場はそうした弱点を気づかせてくれる契機となった。
  「創造」とも言える田原の日本語詩は、中国の伝統の上に、日本や欧米の詩を研究し批評した上で練り上げられたものだ。それはこんな「あとがき」からも伺える。

  母語を越え、観念に背く。
  日本語に分け入り、自らの語感に挑戦する。
  中国語は硬の中に軟がある。抽象、具体、含蓄、直接、孤立、‥‥‥
  日本語は柔の中に剛がある。曖昧、柔軟、解放、婉曲、膠着、‥‥‥

  中国語と日本語のはざ間に立った一筋縄でいかない「異才」を、日本の詩は今後、どう迎えいれるのだろうか。