(ぱくきょんみ詩集『すうぷ』+『「すうぷ」のために・展』図録、ART+EAT BOOKS)
原牧生(現代詩研究)
ぱくきょんみさんの第一詩集が復刊されました。『すうぷ』はその書名で、かつ、そこに収められた一つの詩の題でもありました。また、2008年11月17日から12月6日まで、馬喰町ART+EAT において、「すうぷ」のために・展 がひらかれています。『すうぷ』はその図録とセットで刊行されています。放りこんだものも、放りこまれたものも、「すうぷ」になっています。
『すうぷ』(詩集)は、いっけん平易そうな言葉で複雑な表現がなされています。平易というのは、言葉の意味の深さに思い入れし過ぎないとか、言葉に個人的に凝ることにおぼれないというようなことでしょうか。そして、耳で聴いて分かりやすい言葉。ぱくさんは、十代の頃ラジオの深夜放送で詩の朗読を聴いて詩にひかれていった、というエピソードを書いています。今でも、朗読や、詩の口承的なあり方を大事にされています。また、この詩集に、ポピュラーな「うた」に共振する言葉があったりします。専門家的なアカデミズムにいかない在野の立場で言葉を使っておられると思います。
複雑というのは、この場合、言葉の位相がキュビズム的とでもいうのでしょうか。口語であっても話し言葉そのままではありません。モンタージュといいたくなる飛躍にみちています。読んでいて、詩の文脈から感情移入しようにも、すぐに意味に迷わされます。別の連想になったのだろうかとか、比喩で抽象度が上がっていることがそのままつなげられているのだろうかとか、中断も省略も分からないままに読む、それがたのしく感じられます。言葉を即物的に並べたり、異化的な行分けをしたりして、日本語の韻律から叙情性に流れる線を断ち切るリズム、ブレスがあると思います。
『すうぷ』(詩)を読むと、家と個人の葛藤といった近代文学的テーマがあるようにもみえます。しかし、その「すうぷ」は、メルヒェンの魔法使いがかき回しているようなものに書かれていて、現実はひとつでないようです。『すうぷ』(詩)の「すうぷ」にはアンビバレントな複合感情がこもっていて、それをいただくと、こちらまでたいへんなことになります。ブラックユーモア的なところや人を食ったおとぼけは、『すうぷ』(詩集)のあちこちにあります。
『すうぷ』(詩集)は、ここでありながらどこでもないところを、どこでもある言葉でつくろうとしたものではないかと思います。詩集の最後に収められた『はなしⅠ』という詩の終わりの方は、平がなと片カナが混じった表記になっています。それは、モダニズムの実験にもみえますし、コリアンが話す日本語の発音やアクセントを模しているようにもみえます。作品からはどうとも断定できません。が、読んでいるうちに日本語が異物に変わっていくような感じは、不気味とでもいえそうなものです。どこの言葉ともしれなくなる、日本語(母語?)の溶暗という感じになっています。
「すうぷ」のために・展 には、17組の作家が作品を寄せ、イベントの日には、スウプ料理が作られて供せられ、ぱくさんの自作朗読、馬喰町バンドの演奏もありました。また、皿にスウプの絵をライブペインティングして即売するイベントもありました。
スウプ料理は、味覚、臭覚、触覚、視覚などから感覚されます。本展において、スウプの絵というのは、料理のスウプを写実的に再現するものではなく、スウプの感覚や官能(というのも多様ですが)を絵具のそれらで置き換えるペインティングのことらしいということが、写真からもうかがわれると思います。そして、二冊組みの本書自体も、感覚や媒体の置き換え・組み合わせで対になっています。このことは、アートとイートと詩をリンクさせる優れたプロデュースで実現されました。何かこういうようなものを自分もつくってみたいという気にさせるものだと思います。
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